親近感 〜私と4人の祖父母の話〜

 私の母や父は、私の息子に何かを買い与えたり、贈ったりすることがある。私や妻がそれをやたらにすると、甘やかしといえなくもないような贈り方でも、祖母や祖父がすることでそれは自然なおこないとみなせるから不思議なものである。祖父母という距離感がちょうどいいのかもしれない。「祖父母は孫を甘やかすためにいる」という説もある。誰がそんな説を言ったのかと問われると、私はでたらめな答えしか持っていないので期待しないでほしい。


 私自身は、祖父や祖母から何をもらっただろう。父方の祖父母を思い出す。祖父は、寡黙な人だった。少なくしゃべる人だった。孫の様子を見て、だまって口角を顔の外側に向かってひっぱっているような人だった。私の目には、その表情が笑顔に見えた。愛嬌のある人だというのが、私の祖父に対する印象だ。黙って祖父はよく働いた。自転車屋の仕事だった。

 父方の祖母は、話の多い人だった。健康に関する話。身の安全に関する話。進路や世渡りの話。節約の話。そんな類いの話を一方的に1時間でも2時間でも話していられる。そんな人だった。小魚とアーモンドがまざったお菓子をよくもらった。熟成の進んだバナナをもらうこともあった。


 母方の祖父母を思い出す。そちらの祖母は、シニカルな話題を持っている人で、身の周りの人やものごとに焦点を当てては、ちくちくとものを言うことがあった。私の母や叔母は、ときにそのことがあまり嬉しく思えないこともあるようだった。そば粉を練り込んだ「ぼうろ」なんかを私はよく食べさせてもらって、一緒にお茶をした。

 母方の祖父は、自作のオーディオセットと大きめのテレビに時代劇を映して、私たちが遊びに来ているときでもずっと鑑賞しているような人だった。庭いじりが好きだったようで、庭はいつも手入れが行き届いていた。庭には梅の木が生えていた。その果実をつかって、母が梅酒や梅干しをつくったこともあった。たばこが好きな人で、その庭を眺めて特定の銘柄をよく吸っていた。なんの銘柄だったかは忘れてしまった。こちらの祖父もどちらかといえば寡黙に見えた。話すときは話したのかもしれない。学校の先生をやっていた人で、生徒のために吹奏楽に必要な楽器を自費で買い揃えたという話を聞いたことがある。


 私にはたぶん、祖父母4人に似たところがある。自分でも思うし、親からそれを指摘されたこともあった。親から直接もらうのとは違うものを、祖父母からはもらっていると思う。母や父が思うほどには、私のもとには、祖母や祖父のいいところやわるいところは伝わってこなかった。よくもわるくも、そういう距離の関係だった。祖父母と孫って、親子よりは友達に近いのかもしれない。でも、祖父母は友達なんかとはずっと違う可愛がり方で孫に接するだろう。やっぱり、友達ともだいぶ違う。比喩としてでない、本当の意味での「親近感」。祖父母と孫には、これがある。


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