見立ての狂い

あの二人、デキてるのじゃないか。私の勤める会社の同僚である。なんでそう思うかって、どちらかがトイレとかタバコだとかに立つと、もう片方も重なるタイミングで席を外すんだもの。あるとき、二人が一緒に喫煙所にいるところを私は見たのだ。狭い喫煙所であるのは間違いないが、二人の距離が近いように感じた。親密そうに何かを話しているように見えたのだ。


私の思い過ごしかもしれない。だから、あの二人、デキてるのじゃないか、なんて私のとんでもない勘違いかもしれない。親密そうに話しているように見えたけれど、業務内容に関わる情報共有をしていただけかもしれない。それかもしくは、私の職場のあちらこちらに人間関係上の問題が仮にあったとして、(鈍感な私が気付いていないだけで)そういったことを見えないところで、当人たちに変に勘ぐられないように高い配慮でもって環境を改善するための根回しの相談をしていたのかもしれない。それにしちゃあ何か艶っぽく見えてしまうのは、私が常用する眼鏡にうっすらと色がついているせいかもしれない。私の目が、フィルタリングされた光を網膜に導き入れているだけかもしれない。


私がそんな風に見ているのは、私の位置から観測した身の周りの世界をそう見立てているだけにすぎない。実際の当人たちの関係がどのようなものかなんて、わかったもんじゃない。仲が良さそうだと私が思っているKさんとWくんだって、全然そんな仲じゃないかもしれない。YさんはIさんのことをいつも悪く言うが、本当は仲が良く信頼し合っているから、悪く言うのが本人たちにとって愛を確かめ合う儀式なのかもしれない。本当の関係は、私にはわからない。


タバコの二人の関係が私の思い過ごしだというのがここでの結論だとする。でも、あのふたり、本当は、私の知らないところで結婚して、離婚もして、その後でこの職場で再会した二人なんだって言われたって、それを否定できる程に私はあの二人のことをよく知らない。ただ、今、私の目に見える位置に二人がいるというだけのこと。


やっぱり本当はデキてるんじゃないだろうか。かつて、恋しあったり、愛し合ったりした仲の人と、こんなところでばったり再会して狭い喫煙所でたばこを吸うなんて、ああ、なんというか、いやらしい! 私の価値観がねじ曲がっているのかもしれないけれど。ああ、やっぱり私は共学の学校を選ぶべきだっただろうか。私の人生に異性との関係を学ぶ局面がいかに少なかったかを今、思う。私の見立て、ことに異性関係に対するそれは、著しく偏っている。ありもしないお話をそこらじゅうに見出しがちなのだ。ストーリーテラーとしてはそれも悪くないかもしれない。腕をふるう機会はどこにもないので、頭の中に妄想劇場を立ててみる。ようこそ、本日の公演へ。(って私は馬鹿か?)


あれからもうだいぶ経った。今はもう私は、職場にいない。あのタバコの二人も、もうとっくにいないに違いない。夜空に光る星の関係に比べたら、人間の関係はめまぐるしく変わる。億年単位で見たら、もちろんあの星やあの星だって、出会ったり別れたりしているのかもしれないけれど。





お読みいただき、ありがとうございました。



妄想筆名 青沼詩郎