おなかのへる意味

生きる意味はなにか? と問われて、ちゃんと答えられたらすごい。でも、すらすらと流暢に答えられなくたっていいと思う。


生きる意味に正解があったら、おもしろくない。その正解に向かうことを強制されたんじゃ、「意味の奴隷」じゃないか。


意味なんてない、なんて簡単に言い切るのもつまらない。あなただけの答えを聞かせてほしい。見せてほしい。感じさせてほしい。これは、じぶんに対するメッセージでもある。わたしよ、どうかわたしにその意味を見せておくれ、と。


おなかがへる意味ってなんだろう。どうしておなかがへるのか? 動くためのエネルギーが欠乏するから? じゃあ、なんで動くのか? 代謝していく、失われてれていくからだのパーツ(細胞)を補うために? じゃあ、どうして代謝していくのか? どうして、ぽろぽろとかさぶたや皮膚がはがれ落ちるように、ぼくは身を削るんだろう。


なにかしたいという欲望はどこから来るのか? なにもしなくたっていいじゃないの? なのに、どうして、なにかせずにはいられないんだろう。なにかしないでいる、なにもしないでいるのは、すごく苦痛だ。すっごくすっごく、苦痛だ。望まないマラソンを強いられるのも苦痛かもしれないけれど、そのどちらも苦痛だと思う。「したい」と思うのは、苦痛を避けるための機構なんだろうか。


なんで苦痛がやってくるんだろう。それが生きてるってことなんだろうか。死んでいたら、たぶん、苦痛はない。死んだことはないけれど、たぶんそうだ。そういうものだと、僕は「死」を理解している。


ぼくの言うことや感じるようなこと、なんでも、「ね、そうだろ?」ってささやきかけたときに「うん、そう思う」って言ってもらえることばかりじゃないと思う。でも、語りかけのやりかた、仕方、伝え方、見せ方次第で、ほんとは「あ、そうかも。うん、わかる」って言ってもらえることかもしれない。ぜんぶがそうじゃないだろうけど、けっこう、わかってもらえることってあるんじゃないだろうか。


「おなかがへること」への疑問をそのままぶつけても、「そんなこと考えるな」「わたしは考えたこともないし、しらないよ」「意味なんかない」って言われちゃうかもしれない。


おなかって、減っちゃうよ。それで、食べたいなって、おもう。そのときにだれか近くにいて、かあさんか、とうさんか、おじいちゃんかおばあちゃんかきょうだいか、ともだちか、あるいはそんな〔強いられたつながり〕じゃないかもしれないだれかかわからないけれど、ねぇ、なんかたべようか、どう? きみもおなかへらない? って言ったり、言われたりすることもあるかもしれない。そのとき、「うん、へった」とか言ってか、あるいは言わなくて黙ったままか、一緒にごはんを食べることもあるだろう。


そういう歌、いいですね。


お読みいただき、ありがとうございました。