豊かな星

なんだってそんなことを続けられるのか、なんだってそんなことができるのか、なんだってそんな状況でいられるのか、なんだって受け入れられるのか、なんだって平気なのかと、ひとから見たら「すごい」と思えてしまうことを、けっこうひとりひとりがやっている。そんなことがよくあるようです。僕のような、ごく平凡な人間を含めて、です。


なんでそんなつまらないものにいっしょうけんめい時間をかけたりエネルギーを割いたりできるのか。ひとりひとりの持つ趣味だって、ほかの人から見たらそんなものばかりかもしれません。1日家で寝て過ごすのだって、動き回るのが好きな人からしたら耐え難いことかもしれません。反対にインドアな人から見たら、キャンプだとかマラソンだとかは、何が楽しいのかわからないと言いたくなるものかもしれません。


家族とあたり前のように毎日を過ごしている人もいるかもしれません。昨日みたく今日も家族が家にいる、今日も家族と家で会える、という人がいるかもしれませんが、これは一人でいる人、一人でいるのが好きな人からしたら、耐えられない状況かもしれません。


あるいは今とは違う状況を望んでいるのに、現状がそうでないという人もいるかもしれません。本人はこのままでいることを望んでいなくても、ほかの人からしたら望ましい、うらやましい状況であるかもしれません。


えてして、じぶんの備えているものほど、備えていること自体を忘れてしまいがちです。備えていることに気づいていないなんてことはよくあります。


(僕はときに、文章を書くときに、「あることだけを書く」という方針を持ちます。「ないこと」を書き出したら、きりがないからです。)


人が持っている、「じぶんにないもの」はよく目につきます。じぶんも「ひとにないもの」をけっこういろいろ、あるいはたったひとつかもしれませんが、多いにせよ少ないにせよ、貴重にせよありふれているにせよ、な〜〜にかしらは持っているはずですが、それを見過ごしがちです。


他人に見出しているもの、それと同じではないだろうけれど、ほかの人があなたに見出しているであろうことを、あなたは結構持ち合わせているのに違いないのだと、そんなことを思います。


そう、あなた(じぶん)もね。



お読みいただき、ありがとうございました。