遠景に青

現状のじぶんに不満があるとします。それを完膚なきまでに叩き潰すような勝利のしかたは、現実的ではありません。


ついつい、「変えたいじぶん」がある場合、それまでをすっぱりとやめにして、生まれ変わって一新したい!  などと思いがちです。ですが、それは幻のを求める不安定な心の表れなのかもしれません。


180°方向転換した時点を勝利とみなすから、そうした齟齬が起こるのかもしれません。そうではなく、の変化を180回確実に繰り返せる見通しが立つことこそ、幻想ではなく現実の勝利なのだという理解を、ぼくはもっと築くべきなのかもしれません。


まるで、詰んでいることがぱっと見ただけではわからない将棋の局面のようなものでしょうか。どんな手が来ても詰みになるすべての道を把握しきった状態とでもいうような。


それは、とても達観した名人のみの成せる技かのように見えるもしれませんが、堅実な積み重ねの上に成り立つ、安定しきった、翼を持たない人間の地の道みたいなものなのでしょう。これよりはこれ、ちょっとでも良くなるのはこれ、という地の道を少しずつ歩み続けるうちに、かつてのじぶんのいた場所が遠景に含まれていくのです。


不安や恐れを叩き潰したおのれの拳は、同様に潰れている。


お読みいただき、ありがとうございました。