おとぎ話,Each Other.

夏も冬もおんなじ就業時間のなかで、いちにちじゅうエアコンによって一定に保たれた室温のなかで、一年中だいたいおなじような質と量の仕事をこなす……そんな事業に従事しているひともおられることでしょう。


逆のくらしを考えてみると、村のくらし、みたいなものでしょうか。あたたかいときはあたたかいときにしかできないことをみんなでやる……あたたかいうちに、さむくなったときに備えた仕事をひたすらやる。季節がかわったら、あたたかかったときとはおなじようには、できない。ふたたびあたたかくなったときに備えた、さむいときだけの仕事があるかもしれませんし、そもそも仕事を休んで、あたたかくなり始める時期に備える、というようなものです。現代であってもどこか違う国では、あたりまえのくらしかもしれません。


生きるために必要ななにからなにまでを、みんながそれぞれやらなくてもいいようになっているのが、この国のいまのかたちかもしれません。生きるために最低限必要なことでさえ、外部化して、社会全体としてなんとかバランスを保ってみんなで生きている。


そんな社会のなかで、自分が生きるためにどんなはたらき方をするのか、積極的な取捨選択のうえに現在の生活が成り立っていると、胸を張っていえるという人がはたしてどれだけいるでしょうか。


厳しい自然のなかで生き抜くために、みんなでそうせざるをえないというようなかつてのくらしがあったかとおもえば、いまはいまでやはり、色んなことが自分の外側に、社会のなかにシステムとしてできていって、ある程度そうさぜるをえない、というようなところでみんなが生きている。かつてのおとぎ話がいまの姿かもしれないし、いまのおとぎ話はかつての姿、みたいなことになっている。……なんて妄想をしているうちに、また朝になる。