初めての「顏」

さすがにその場に居合わせた他人におごられた経験はないんですけどね、見ず知らずの人に話しかけられたことが最近ありました。


下北沢から三軒茶屋方面に、10分ちょっと歩いたところにあるバーでした。イラストや漫画を描く友人が、そこを会場に、自身の作品の展示を行っていたのです。僕はそれを見に訪れたのでした。


バーは通常の営業をしていました。作家さんにこうして展示に利用してもらうことで、初めてのお客さんにも店を訪れてもらう機会になっているのかもしれません。作品を見おわった僕は、カウンター席についてお酒を飲みながら、作者である友人や、そのまた友人たちと話をしていました。


「そのまた友人たち」のなかに、ミステリー小説を読むという人がいたので、僕も自分が好きな作家やその作品名を挙げ連ねて話をしていたら、逆側の隣席にかけていた初対面の人に話しかけられました。彼もそうした小説などを読むそうで、話しかけずにはいられなかったそうです。


彼は、僕の読んだことのない作家や作品の名前をたくさん知っていました。読書家だなぁと思いましたし、僕にはそんなにたくさん読めないなぁとも思いました。彼は、図書館で本を借りるそうです。返却期限があるので、「読める」のだそうです。僕は、返却期限がある図書館の本は、むしろ期限までに読めずに返してしまうことが多かったですし、お風呂で読んだり、めくりやすさや持ちやすさのために強めに本を曲げたりしながら読むことに気を遣いたくないので、ここのところは、借りるより買って読むことが中心になっていました。


普段、本を読むという個人的な行為(もちろん読書会とか展示即売会とか、本をきっかけにした人のあつまる機会は多様にあると思いますが)について、人と話を交換することがあまりなかったので、僕も楽しかったし、彼もたいへん嬉しかったようでした。実際、「職場の知り合いとはこんな話はできない」とも語っていました。


こうした、自由な人のつながりを仕掛けたのは、友人の作品展示会場となったバーである、ともいえます。そのバーは、いろんな作家さんたちに、そうした形でお店の壁面やスペースを展示のために貸しているようです。出不精で家が好きな僕は、バーを訪れるなんてことは滅多にないのですが、とても思い出深い夜になりました。


こういうことが、個室がウリの居酒屋チェーン店だとか、世界に名の知れたハンバーガーチェーン店だとか、ワンコインで定食が食べられる牛丼チェーン店で起きるかといったら、必ずしも否定はできませんけれど、考えにくいことでもあります。まったく異質な価値を提供しているので、並列して語るものでもないかもしれません。


仕事の合間に食事を済ませるために訪れる店もあれば、終業後の自由な時間を過ごしに訪れる店もあるでしょう。街のなかにいろんな「顔」があるのを、僕はまだまだ知りません。