ヘソタウン

日本が変わろうとしない側面があるとして、島国だからかな、なんて、途方もなくぼんやりとしたことを思う。

どこまで行っても、地面が続く限りは国の中だ。水に囲まれた中で時間が流れる。

いくら地続きでも、地域によってはまるで外国のように感じられる。

ウルフルズが「大阪ストラット」という曲で「他に比べりゃ外国同然」と歌っている。昨年、大阪の通天閣周辺を実際に歩いた。なるほど、これが外国かぁと思ったものだ。

道幅の狭い商店街。店頭に置かれた、生きた魚が泳ぐ水槽。将棋・囲碁サロンがごみごみした中にあって、ガラス戸ごしに経年の厚みを漂わせる。明るくも暗くもない、清潔感もないが不潔でもない「生きた」様子はさながらヤミ市みたいだなあと、本物のヤミ市を知りもしないのに思ったりした。

東京でも、吉祥寺のハモニカ横丁だったり、町田の仲見世商店街を歩いたとき、「ヤミ市」を感じた。外国みたいだなあとも思えるし、日本もアジアだなあと実感したりもした。

自分の生まれ育ったバックグラウンドとの異質さを感じて、そう思ったんだろうかと推察する。

僕は保谷という、ごくごくなんでもない住宅街に生まれて育った。都内でありながら23区の最果てたる練馬区、埼玉県新座市ともとなりあい、一時は「東京のへそ」とも呼ばれた経歴を有する住宅街である。(17年前くらいに、となり町と合併していまは「西東京市」という。)

なんでもない住宅街に生まれて育つと、日本という国が歴史的背景に持つようなことでも、逐一外国のように感じられる。それで、同じ島国の中にも、地続きに「外国」がいっぱいあるようなことになる。東京出身なのに、東京のことをなんにも知らないし、東京以外のことはもっと知らない。顔を持たない、黒子のような町。それが僕の出身地である。

「ふるさと」といえるようなものがここにあるのかと、ふと思う。僕の両親が思春期を過ごしたのは、ここ(西東京市)より少し東、巣鴨やら小石川のあたりだったりする。で、その両親の親族のバックグラウンドには、新潟だったり富士吉田だったりといった諸地域が遠景にある。

顔のない町に育った僕は、そういう諸々の地域ひとつひとつにも、明確な根拠もなしに、なつかしさや「ふるさと」を感じたりもする。

どこもかしこも、外国だらけ。

どこを訪ねても、なつかしい。

なんだかよりどころのないおかしな男に育ったものである。

「顔のない町」に育った僕のような子らは、他にもたくさんいる。この世代の特徴ともいえるかもしれない。

日本はどこにあるのだろう。