バニイル

ステージに立ってライブをしたりするなかで、つねづね思うことがあります。



最高の時間を過ごしたいというお客さんと演奏者、そのどちらの姿勢が欠如しても、ステージは最高にならないということ。


それも本番の最中だけそうした姿勢でいればいいわけではありません。演奏者はステージで最高の時間を過ごすためにできる、あらゆる準備をします。それは事務的な作業である場合もあれば、もちろん練習とリハーサルを重ねて音楽の質を高める肉体的・精神的な研鑽であったりします。


お客さんのほうでも実は本番を最高に楽しむための準備というのがあらかじめ始まっていて、平素から自分の生活をより充実させるものはなんだろうと探す姿勢こそが、本番の鑑賞に活きてくるでしょう。自分が探しているのはこれだったんだ!という感動に出会えるのもまた、音楽のステージだったりします。



「場」をつくる要素をざっくり挙げると、「ヒト」「モノ」「コト」であるといえそうです。そのどれもが、「場」の一部として機能するということです。なかでも「ヒト」の態度・姿勢はもっとも流動的というか、可変性の高い要素でもあります。かつ、「ヒト」は「モノ」や「コト」に対して支配的です。


「ヒト」の参加する姿勢……たとえばその「場」のアラさがしをするのか、いいところさがしをするのか……によっても、その「場」の性質は白にも黒にも反転するでしょう。「積極性」で満たされた場はおおむねハッピーだし、「無関心」が沈積する場ではなにも起こりません。人々のそうした姿勢・態度こそが、「場」の未来を握っています。



手の中に握りしめたものを守り、独占をつづけるのか。


こぶしを開いて手の中を見せあい、分けあい、交換するのか。


どっちがいつも正義、ということでもありません。困ってしまうのは「場ちがい」です。


自分にあった「場」をみつける嗅覚。

引き寄せる腕力。

たどりつくバイタリティ。

坂をのぼるフットワーク。



「場」をつくる、姿勢。



自分でつくれば、いちばん楽しい。


すでにあるものに、自分をあわせる必要などないのだから。