徒然なるあれこれ〜さよなら、さよなら、さよなら〜

・電動歯ブラシというと、実家にいた頃、親がどこかからもらってきて、使わずに棚の上で箱に入ったままほこりをかぶっていたのを思い出します。引き出物かなにかだったのか、水まわりに間接的に関わる仕事だった父親がもらってきたのものだったのかわかりませんが、結局誰にも使われずに見かけなくなりました。3分の歯磨きよりも、1分の歯磨き+1分のフロスがけの方が歯の健康を保てるというのが僕の個人的な実感です。


・「ケチ」で思い出すのは父方の祖母です。節約と健康が信条の人でした。もう亡くなっています。昔、僕がためしに紅茶と緑茶を半々で混ぜて淹れて「ハイブリッド茶」とかつまらないことを言って飲んでいたら、母に「ばあちゃんみたい」と目を細めて言われたことがあります。あまり真似したくならないような食材の用い方を、あまた実践する人でした。健康に良いからというのが本人の主張だったようですが、根拠はわかりません。「アカは落としすぎるな」とか、いかにも言いそうな人でした。父方の実家はとにかく汚かったです。幼かった僕には、それが当たり前でした。祖母が老人ホームに入ったあと、父の実家を掃除していると、あちらこちらから一万円札が出てきたそうです。母はそれを「へそくり」と呼んでいました。


・ひとつひとつの予定について「そこで実現したいこと」をきちんと考えていくと、目的のなさに恥ずかしくなるような自分の行動の選び方、予定のたて方がたくさん発覚してきそうです。「手帳」を使わない僕ですが、持ってもいいかなと思えてきました。三日坊主にならないように、努めて習慣づける必要がありそうですが……。僕はいつも、新しいものを取り入れるのに慎重なほうです。「流行」にはほとんど乗らないし、まずは懐疑的になります。宿題や試験勉強を始めることにさえ懐疑的でしたので、母親や歴代の担任たちから「やればできるのに火がつくのが遅い」という評価を幾度いただいたかわかりません。そんな事実があったかどうかさえ、いまでは懐疑的にとらえています。


・「初〇〇」とか、かつては結構おもしろがってやりました。今年はぜんぜん意識していません。ずっと音楽をやってきたので、「初うたい」とか意識していたなあ。年越しのカウントダウンの「0」でジャンプすると、新年のその瞬間に「地球にいない人」になれるとかいって、実際にやったりしたかどうかは覚えていませんが、そんなとりとめのないことを友達と話したりしていたような気もします。ところで、「初・年越しそば」を食べる瞬間まで、あと11か月半ほど待たねばなりませんね。


・最近、妻に「さよなら、さよなら、さよなら」と言ってみせたら、なんのことかわかってもらえませんでした。映画評論の淀川長治さんが、テレビのロードショーで本編が終わったあとのコメントのむすびの決まり文句でした。小さい頃テレビで観た「チャッキー」はほんとに怖くて、正直観られなかったです。トイレに逃げたりしていました。ですので正確にはほとんど観ていません。いま観たら、どう思うんだろうか。