司令室の原始生物

自分の手の届く範囲のことでないと、自分のこととして意識するのは難しい。

この手の届く範囲は、考え方ひとつで広がりもするし、具体的な手法やツールが開発されることで広がることもある。

手を伸ばすほどのこともないほどに自分の中心近くのことだと、自分のこととしての意識がなかったり、気づかないでいたりすることもある。指摘してくれる他者がいれば幸運だ。他者はそれが、当たり前に本人にも自覚されていると思って接してくる場合もある。

自分を正しく知る方法はいろいろある。

さわれるところはさわってみる。

動かせるところは動かしてみる。

水につけたり、風にさらしてみたりする。

鏡にうつしたり、ビデオに録ってみてもいい。

他者と話をするのもいいけれど、他者もまた自分自身をどれくらい把握しているかバラツキがある。そこが未知数の広がりを持つおもしろさでもある。

からだというものは、自分の基地である。

そこから発進したり、帰って休んだりする拠点になるものだ。

この基地はいろんなところに連れていくことができる。そのときそのときで、基地をどこにおくかを意識してやりくりするのも可能だ。いろんな人がやってきては、駐在したりもする。

広くていろんなものがある基地、居心地が良く快適な基地、余計なものがなくいつも外に目が向く基地、すぐ動ける基地。ふわふわと空を漂う基地、波間にゆらゆら揺れる基地。ぶくぶくトプンと沈んでいく基地、山肌をズザアゴロゴロと転がり滑る基地。

基地のなかの僕の基地。

司令室。

なんにもない、僕未満の僕がいる。