地球の大きさが26cmだとしたら、月はテニスボールほどの大きさになり、地球と月の距離はだいたい8m。
身近な縮尺にしてみると、ちょっとその距離が現実的に実感できる。
光の速さで何万年かけても到達出来ない領域が無尽に広がっていると思えば、月はだいぶ近い。
にしたって、あんなとこよく行ったもんだ。
僕たちが地面に足を着けて、酸素を吸ったり二酸化炭素を吐いたり、ごくあたりまえに過ごしている環境は、ごくごく地球の表面近くのわずかな範囲のことでしかない。
生物があたりまえに生きられる環境を抜け出して、長い長い必死の空間(例えではなく本当に生物が死んでしまう空間)を、小さな船で移動していった。その距離は38万km余りという。
しかも帰ってきた。物量的なものをなにか、ごっそり持ち帰ったわけではない。月面上の物質を微量、採取したりはしただろうけど、金銀財宝を積んで帰ってきたのではない。むしろ失敗を重ねたり、失ったものも大きいだろう。この一環のプロジェクトから得られたものは、金銀財宝どころではない。そういった価値を宇宙規模で超越した事業だったといえるかもしれない。
この宇宙開発にかかったあらゆるお金を、地球上の別のことに使っていたら、どうなっていただろう。解決した問題もあるのだろうか。
月に行ったら、どうなるか。何が得られるか。
やってみないとわからないことを、わからないまま放っておくのも難しい。
ひとたび思いついてしまったことは、もうすでに、そこに誕生してしまった事実に等しい。
そこに存在するものを無視することは、なかなかに苦痛なものである。
探究心。
好奇心。
思いついたもの、
気づいたものに向かっていく、
宇宙をも切り開く推進エネルギーである。