スランプとプラトー

・リーグ勝者が決まった

先日、ある飲食店で過ごしていたら、店内の高いところに設置された大きいテレビに野球の試合が映し出されていました。巨人と横浜の試合でした。とくに何を急ぐでもなく過ごしていたので、しばらく画面を見つめていました。投手の指先を離れ、閃光のような速さでキャッチャーミットに着弾する、その球威が画面を飛び出して伝わってきて、「すげぇなぁ」と率直に思いました。それをカットしたりグラウンドや宙に叩き返すバッターもまたすごいです。ふだんスポーツ観戦をほとんどしないのですが、見惚れました。その試合は、巨人がとりました。5年ぶりのリーグ優勝とのことでした。僕にはひいきのチームがないので、どこが優勝してもおめでたいです。


・本の話

家の中のいろんなところに未読の本を待機させてあります。本屋さんでパラパラとめくって、これは買うべき!と思って家に連れてきた本でも、そのあとすぐには読みきれない場合が多いです。そんな本をそこらじゅうに置いておくのですが、しばらく触れなかったタイトルがふと目に止まることがあります。それで久しぶりに手にとって読み始めると、進んでいくのです。「僕」という細胞のあつまりは、刻一刻と変化します。そのときによって、ある瞬間にはよかったものが停滞したり、反転したりします。本のほうは中身が変わるわけではないのですが、べつの時期に出会い直しをすると、違った関係が生まれるみたいです。


・チーム・プレイの話

チームも刻一刻と変化しますし、戦況も変化します。チームをつくる細胞の一個一個である、選手も変化します。ある瞬間ある部分に停滞をみつけたら、明日や明後日には下降に反転するかもしれません。そこでさっと調子の良さそうな別の個をそこに持ってくる、といった采配が可能なのがチーム・プレイです。


伸びどまってそのままでいるときのことをプラトーというと聞きました。それまでより下がってしまうのがスランプだそうですね。プラトーそしてスランプのあとには、成長がまたやってくる可能性がじゅうぶんにあります。個で戦っている場合、調子が下がってきても、そこであきらめずにやり続けるか、やめるかくらいしか選択肢がありません。チームでは、それぞれの成長や調子の具合をみて、「そのときいいもの」をふさわしいところにあてがうことができます。「個々のいいとき」の出力を合算してチームの総力とすることができるのですね。もちろん、「いまこの個体はいいときみたいだ」と期待しても、必ずしもその通りに個が力を発揮するとも限りません。その判断を決して間違わない監督とじゅうぶんな交代要員を備えたチームがあったら、最強かもしれません。


・本の話にもどる

この本には自分に必要なものが何かある!と思って買ってみたものの、いつもそのときすぐに必要になるわけではないようなのです。でも、時間が経ったときに、かつてはなかった刺激をあたえてくれることがあります。


個の成長や調子の具合の上がり下がりのことやチームプレイのことを考えていたら、なんだか僕の家じゅうに寝かされている本たちのことが思い浮かんだのでした。



お読みいただき、ありがとうございました。