二度観した映画

恋人の秘密なんて、知らなくていいものもあるかもしれません。べつに秘密にしているわけじゃないのに、相手が勝手に秘密にしていると思い込んでいるだけの場合もありそうです。


事実はなんでも知るべきでしょうか。事実はじぶんの目の届かないところにいくらでもあります。目の届かないところの姿のすべてを知ることはできません。あるところに焦点を合わせれば、それ以外のあるところが盲点になります。


観てから10か月くらい経っているある映画作品を、先日もう一度観る機会がありました。一度目に観たときとは全く違った体験になりました。目に入らなかったものがたくさん目に入ったし、気付かなかったことにたくさん気付きました。一度目とは全く違った感情がじぶんの中に湧き起こりました。上映されたのは同一の作品なのにです。「あれ、これ前回とは編集が違ってる?」とまで思ってしまうくらいに感じ方が違ったのです(もちろん、編集が違ったバージョンだったなどという事実はありません)。同じ作品を観ても、違う人が観れば感じ方はまったく異なるはずです。僕は、10か月という時間で違う人間になったのでしょうか。


じぶん、進歩していないなぁと情けない気持ちになることがあります。いや、情けない気持ちというのは少し違うかもしれません。みじめといいますか、あきらめといいますか、無情というのがいいのか非情というのがいいのかもわかりません、そんなような気持ちになることがあります。変わっていながら、変わっていない。


おなじものがべつのものに感じられるなんてことがあるのですね。


映画はそれを教えてくれます。



お読みいただき、ありがとうございました。