仮想上京道楽

僕は上京したことがありません。ずっと東京都、現在の西東京市で育ちました。(18年ほど前に保谷市と田無市が合併して現在の西東京市のかたちになりましたが、その旧保谷市の地域で僕は育ちました。)


20歳の誕生日を目前にして、僕は都内の音楽大学に進学しました。それで、たくさんの、上京してきて学生となった者たちに会いました。みな、じぶんの部屋を持って、そこに住んでいるのです。なんかいいなぁ、と思いました。


西東京市内の実家に住む僕にも、実家の中にじぶんの部屋があったのは間違いないのですが、「部屋」が指す意味が少しちがいます。上京組で一人暮らしをしている友人たちは、生活空間のすべてを独り占めしているのです。かたや上京せずに実家に住んでいた僕はといえば、お風呂から出てもトイレから出てもキッチンに立ってもリビングで食事をしても、そこは家族との共有部なわけです。母親と顔を合わせれば、なにか思わしくないことを指摘されたり追求されたりと、干渉を受けがちでしたから、そのことが僕はいやで仕方がなく、そんなじぶんの境遇と対比させて、上京組の一人暮らしを「いいなぁ」などと思っていたのです。


上京する最初のそのときの片道、その道中の体験が僕にはありません。そもそも、上京をしていないものですから。


僕が実家を出たのは、結婚するときが初めてでした。ですので、一人暮らしをした期間というものが今までの僕の人生にはありません。


ちょっとした旅行や外出・外泊などの体験を、上京という体験の、短くコンパクトなヴァージョンとでも思って想像するしか、僕には共感する術がありません。でも、それで十分かとも思います。学問をしたり仕事をしたりとかいう何かしらの目的のために、上京してくるわけですから。僕かて、何かをするためにどこかへ行くということはあるし、これからもするでしょうし……ただ、そういった目的のために住まいをあとにするとか、あたらしい居をかまえるとかいうことがこれまでの僕にはありませんでした。それまでの居と決別し、あたらしい居所をさがそう、つくろうというほどの大きな覚悟を持って何かをしたことが、じぶんにはまだないのではないか、などと思ってしまいます。


上京する人は、その道中で、これから何があるんだろうとわくわくしたりするのでしょうか。それとも、行き先でのミッションを具体的に持って達成せんとしている人ならば、よくわからないものにドキドキワクワクするような気持ちとは違った心境なのでしょうか。


どこかに連れていかれるのではなく、じぶんの足で行きたいという意思。目指す場所(土地)に、ただ至るだけならばどんな交通機関でも利用すればその達成は難くない。ただ直線を引きたければ定規をあてがって、それに沿って筆を滑らせるだけです。ここからここまでくらいの範囲に自由に絵を描いてやろうというとき、そんな定規はなくても良いわけですね。


何を持っていくかということでも、行く先でこれまでになかったなにかをやろうというとき、「これまでじぶんがいた場所から持ち出す必要のあるモノ」なんて、どれだけあるでしょうか。(僕は、よく、なんでもない散歩に行くだけだというのにかばんのなかを未読の本やらあれやこれやらでいっぱいにしてしまいます。)行った先で、必要に応じて調達すればいい。その過程で生まれるストーリーがどれだけあることやら。


お読みいただき、ありがとうございました。