歯は「磨く」ものか?

おのれを磨く、というような言い方がありますね。「おのれを磨く」という言い方が一般的かどうかわかりませんが、「自分磨き」という表現なら、どこかで触れたことがあるという人が多いのではないでしょうか。


技を磨く、なんて言い方もするんじゃないでしょうか。磨くという概念を、いろんな表現に応用しているのですね。そのこと自体は、ことばの可能性の広がりをわたしに教えてくれます。


歯を磨く、というのは、実際にブラシでごしごしみがくようにこすりつける物理的な様相をそのまま示しているという表現なのかもしれません。おのれの歯の健康のクオリティに磨きをかける、というニュアンスで使われている「磨く」とは違うように思います。でも、本質的な意味では、「おのれ」や「技」に「磨き」をかける時とおなじようなニュアンスが適合なのかもしれないと思います。歯をブラシで磨くことで、歯の健康、歯の質に磨きをかけているのだと。


わたしは歯医者さんに行くと、ブラシを軽めに、ぴったりと密着させるようにして、力を入れず、細かく、回数多く動かすように指導されます。意識しないでいると、ちからが強い(ちからを使いすぎる)のかもしれません。歯医者さんがわたしに指導する理想的なブラッシングは、ブラシを持つわたしの主観としては「磨く」というよりは「なでる」という方が近いかもしれません。なでるといっても、ムラがないように歯の表面ぜんたいすみずみにまでわたって、その「なでなで」を繰り返しおこなうものを指します。この、「行き届いた繰り返し」こそが、じつは「磨く」という動詞の本質なのかもしれないなんて風にも思います。そうすると、やっぱり、あんがい、歯を「磨く」というのはそこそこ的を射てるかのようにも思えます。


ただ「磨く」とだけ聞いた場合、布のようなものをきゅっきゅっきゅっと押し付けて、本来つるつるした表面を持つものに乗っかってしまったうわべの汚れを取り除く、という様子をイメージします。もしも歯を取りはずして、やわらかい布で磨き上げることができたら、かなり健康を保てるような気がします。あれ、やっぱり、「歯を磨く」という表現はけっこう、ふさわしい言い方なんじゃないかという気がしなくもありません。


「磨く」は、たんに「掃除する」よりもさらにていねいな手入れである、という印象をわたしは抱きます。日々の忙しさの中で、やっつけるような歯のケアの繰り返しと結びつけられることによって、「磨く」に本来付随するていねいさが廃れてしまっているのだとしたら、いまいちどその認識を改めたいなと勝手に思っています。


あるいは、「掃除する」のていねいさが、わたしのなかで廃れてしまっているのでしょうか? 「ていねいに手入れする」というのがいちばん目指すべきところなのかもしれません。でも、「歯を磨く」ではなく「歯をていねいに手入れする」といちいち言うのは、やや長いようにも思います。


そう、かんたんに言い切ってしまうと、そのおこない自体も簡略化されてしまいがちになる、という弊害がもたらされることに気づきます。ことばをていねいに選び、実際にそのように用いることは、生き方そのものにあらわれるようです。


お読みいただき、ありがとうございました。