去年の今頃、何してた?

いつも、その日暮らしをしてしまいます。毎日今日のことに精一杯だし、よくて今日が終わりかけた頃に明日のことをすこし想像できるくらいです。1年や2年あとのことなんて、あまり想像していません。そのことで損しているのは、じぶんなのでしょう。


日記をつけるようになりました。ここ1年半くらいの話です。5年間ぶんの同じ日付の日記が1ページ内に並ぶレイアウトの手帳です。これを使いはじめたおかげで、去年書いたじぶんの日記が自然に目に入るようになりました。「ただ、毎日書く」ことさえすれば、自然に過ぎ去った年の今頃の日付のときにじぶんは何をしていたか、何を考えていたかがわかる。そのシステムをおのれに導入できることに魅力を感じてこの手帳を買いましたが、これはほんとうにいい買い物だったと思います。


冒頭に述べたように、ぼくはよくて1日先くらいのことしか考えられません。いえ、実際はそんなことはないかもしれないけれど、そう言いたくなる程度にじぶんの視野のみみっちさを嘆きたい気持ちをやりこめながら、日々、生きています。そんな、視野のみみっちいぼくが、この手帳の助けを借りることで、現状1年分、この先は5年分まで広がるであろう視野を手に入れたようなものなのです。


この視野の広がりはもちろん「うしろ」への広がりですから、厳密にはこの日記帳の助けがあるからといって、「まえに(先方、進行方向に)」視野の広がりを得たのとはちがいます。そればっかりは、じぶんで見よう、見越そう、想像を及ばせようとしないことには広がってくれません。


ただ、去年のいまごろにじぶんが書いた日記を見ると、けっこう似たような仕事を繰り返していることに気づきます。去年から今にかけて、同じ職に就き続けているから当然といえば当然かもしれませんが、惰性で同じことを続けているだけと鋭く切りつけるもの言いをされても、妥当だと受け入れねばならないでしょう。同じことの繰り返しが嫌ならば、今あるもののうち、何を捨て、何を守り、何を変えるべきなのかを怠けることなく精査して実行していかないことには、来年の今頃にも似たような仕事をしたという日記をつけることになるのはじぶん自身です。


少なくともそのことに気づけた、その一助となったのがこの5年手帳であることは揺るぎません。


1年くらい先のことなら、思考のミラクル、出遭いの偶然などに頼らず・無視せずとも、ぼくのような平凡な頭の持ち主にも想像が及ぶ部分って、けっこう多いのかもしれません。その流れをどうしていきたいか、明日に激変させるのはそれこそ凡人には難しくても、1年くらい先にならば蓄積が功を奏してゆるやかに変わってくれるはずだから、そのために今日以降になにをすべきか、考え、決め、実行する助けになってくれるものが、日々記したインクの戯れだなんて、テキトーでちゃらんぽらんで平凡なぼくにはぴったりです。


お読みいただき、ありがとうございました。