すべての労働者はゲーマーである

「こんなときこうする」ということのあつまりで、ほとんどの仕事はできている。たとえば窓口対応の仕事があったとして、お客が持ってくる用件にはパターンがあって、それぞれの対応法をただ実行するだけでその用件の処理は終わる。お仕事完了である。これがどんどん複雑化するくらいの話であって、なにかしらの解を導き出して示しさえすれば、仕事というものは終わる。

遊びにはそうした解がない。いや、仕事みたく、じぶんで用件を言うお客(ヴァーチャルで結構)を舞い込ませて(ひとり芝居)、ひとりで解を示すみたいなことをするのでもかまわない。そういう遊びも、本人が良ければあると思う。

研究職、みたいな仕事もあって、案外これは遊びに近いかもしれない。お金をもらう以上、最終的に、あるいは定期的に、結論あるいは経過報告のようなものを求められるのかもしれないが、なんというか、方向や目的地(仮でもいい)をじぶんで決めて大小のアクションを積み重ねていくところが、いかにも遊びっぽい。

僕の持つ遊びのイメージが、これを読んでいるあなたのそれとだいぶ違うかもしれない。いや、そうだよお前の言うこと一理あるよと言ってくれる人もあるかもしれないが。

スポーツにはゲーム性があって、これまた遊びっぽくもある。ルールがあって、それに沿う遊びもある。ルールをつくることからはじまる遊びもある。

遊び遊び言っているが、これに仕事というものが持つ性質をうまく絡ませれば(仕事としての定義を満たす必須条件のようなものをクリアすれば)、あまり両者の違いもないのかもしれない。

お読みいただき、ありがとうございました。