理想の在庫化

思えば、ぼく自身の理想も在庫化されてしまっているのかもしれません。あんなことやこんなこと、やりたいし、じぶんにはできるんじゃないかと思うことはいろいろありますが、そのうちのどれも実現されていません。いえ、正確には実現しているものもあるかもしれませんが、実現すると忘れてしまうように思います。倉庫を圧迫する在庫は目につきますが、倉庫というおのれが管轄する範囲から流出して、視界からなくなるだけで存在を忘れてしまいがちなのです。


やりたいし、じぶんにできるんじゃないかと思うことが在庫化されるのは、当然のなりゆきなのかもしれない、とも思います。在庫の消化はつまらなくてしようがないのです。在庫の消化が実現されるだけで、想像もしなかった光景が目の前に立ち現れるのとは違うかもしれないのです。在庫がなくなるとそこに現れるのは、しばらく見ていなかった、元からあったただの壁。スペースを圧迫していたものたちが消えると、案外広いのねなんて、忘れていたおのれの管轄するストレージの広さを思い出す程度です。それよりもついつい、新しい光景に出会える未来に少しでもつながりそうな道を手繰り寄せようとしがちなのがぼくの性癖。現状の限られたおのれのストレージ容量から目を逸らし、新しく外部メモリの導入を目論みがち。


在庫の消化を真剣に考えてひとつひとつ実行していくことだって、これまでそれをしてこなかったぼくですから、それをしてみれば経験にない貴重な発見や学びがあるはずとも思います。拓かれる景色もあるはず。逃げるのはもうやめて、向き合いなよと言われれば、その正論の堅固さの前にぼくは反論できなくなってしまうかもしれません。


つくる仕組みが、だれの手にも簡単に行き届くようになりました。「アドビ」のクリエイティブな活動につかえる種々のソフトをつかって、かつては一部の専業者のみの手に委ねるしかなかったような制作や編集といった作業がだれにでもできるようになりました。ぼくが傾倒している音楽制作の活動に寄せてもおなじことが言えて、音の収録や生成や再生、編集といった制作活動を一貫して個人ができるようになりました。個人の手の届く安価で品質の高いツールが行き届いたからです。


オリジナルソングをつくってネットで公開する人。漫画を描いて自主制作本をつくって即売会で売る人。そうした人がたくさんいることにおどろきます。そうした世界を垣間見たときの感慨はぼくにとってよろこばしいものであると同時に、つくり手の絶対数が増えに増えて、表現に昇華されたものから、「思い」のままかたちにもならず見えない在庫と化したものまでを含んだ、地下世界の淀みを思います。その淀みの一部を構成するのがじぶん自身だということも自覚しながら、ぼくは奥歯にわずかな圧力をかけてその反発を確かめるのです。


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