大丈夫、できるから、行け。

生まれたばかりの小さな赤ちゃん。その子が、20年かそこらして、筋肉も骨格もたくましい大柄の大人になるところは想像しがたい。しかし、その光景が実現する可能性はある。ありえないことじゃない。「信じられないねぇ〜」なんて言いながらも、実際にそんなことになったとしたら、ぼくはその事実を笑って受け入れるだろう。幼いときのぼくを知っている親戚のおじさんやおばさんが、いまのぼくを目の前にしながら「しろうちゃん(しろう、がぼくの名前だ)なんてこんなにちっちゃかったのにねぇ(身振り手振りで小ささを表現)」などと言う様子に、そっくり重なる。


ぼくは楽器の演奏をしたり、それを録音したりする。よくじぶんの作った曲を演奏して録音しようとするのだけれど、目指す演奏とそのときのじぶんの演奏がかけ離れていることがある。そんなとき、「こりゃ大変だぞ」と思う。


でも、なんだかんだできるようになるのだ。あまりに目指すところと現状がかけ離れすぎている場合もあって、「ほんとにこれ、できるようになるんだろうか?」と疑うこともある。でも大丈夫、ぼくはなんだかんだできるようになる、と心のどこかで思ってもいる。それはきっと、今までにも「疑って、トライして、エラーして、やり直して、それを繰り返して、上達して、なんだかんだできるようになり、疑いが晴れる」という経験をしているからだ。その経験が、「大丈夫、できるから、行け」というお墨付きをくれる。


そう、ぼくも新生児だったし、ハナタレ小僧だったし、小二だったし中二だった。高校二年生も経て大学二年生をも経て幸い卒業することもできた。ただ、まともに就職活動をしたことはないし、正社員になったこともないし、個人事業主として自立しているわけでもない中途半端な大人かもしれない。それでもなんだかんだいま、生きている。それを言ったらだれでもあてはまるだろう。そう、みんな、なんだかんだ生きてるじゃん。少なくとも、これを読むことのできる人はそのはずだ。


お読みいただき、ありがとうございました。