犬もアイス食えば棒に〈当たり〉

「犬も歩けば棒に当たる」の「棒に当たる」というところは、いまいちいいことなのか悪いことなのかピンと来ませんね。「いいか悪いか」で二極化してとらえようとしている、いまのわたしの姿勢がそもそも疑問視すべきかもしれません。いいか悪いかで語っていいことなんて、わたしが思うよりも少ないかもしれません。


「でしゃばると叩かれる」というのが、「犬も歩けば棒に当たる」の本来の(当初の)意味なのですね。そうすると、犬は歩くことも許されないのでしょうか。


「歩くのならば、棒に当たる覚悟で歩きなさい」という戒めにも聞こえます。あるいは、忍んで歩けば棒を振り下ろされたり投げつけられたりすることは避けられるよというふうにもとらえられないでしょうか。


また、この「犬も歩けば棒に当たる」ということわざが生まれた背景には、きっと犬の命と人間の命に尊いとか卑しいとかの格差があるか?と問う観点は含まれていなかったことと思います。わたしが想像するに、犬を「犬畜生」、すなわち卑しいものだとか、人間より下等なものとしてとらえることを前提として成された語なのではないかと思います。(いや、ひょっとしたらそうしたことに考えを巡らせるわたしのような者があることまで見越した、達観した言葉なのかもしれませんが……


つまり、犬のような卑しく下等なものが大手を振って歩くと棒を振り下ろされたり投げつけられたりするよ、といったものが、このことわざの当初のニュアンスなのかなとわたしは考えたのです。


「出る杭は打たれる」にもちょっと似ているな、なんて思います。「犬とはこういうもの」とか、「杭の長さは揃っているべき」といったような、「特定の価値基準や水準の押し付け」をわたしは感じます。いくぶん、過敏かもしれませんが。その過敏さだって、わたしによる価値観の押し付けにもなりかねませんし……


こんなことをうねうね考えていると、「でしゃばると痛い思いをするよ」といったような当初のニュアンスよりも、転じて用いられるようになった「吠えていないで行動すれば(歩いてみれば)、いいこと(棒)に行き当たるよ」といったニュアンスを持ったことばとして用いるほうが、よっぽど出どころがあるといいますか、対面で相手に語る際にやさしさや厳しさを示すのによりふさわしい表現になるのではないかと思います。


「犬もアイス食えば棒に〈当たり〉」でもいいか……(犬に人間の食べ物をあんまり与えてはいけないそうです。)


お読みいただき、ありがとうございました。