居心地の要素

ちょっと凝った画材が欲しくて、専門店に行くために神田を訪れたことがあります。そのとき、3歳になる前の息子を連れて行きました。西東京市内在住のわたしが神田に出かけていくと、移動だけでもちょっとした時間が過ぎてしまいます。そこで、お店の前に着いたけれど、買い物を始める前に休憩をとることにしたのです。


画材屋さんの斜向かいのビルの前には大きな樹がありました。私有地なのか、公道の一部なのか判然としない位置にありました。その樹の幹の周りに、ベンチがありました。わたしと息子は、そこに腰掛けて休憩をしました。作って家から持ってきたおにぎりを食べました。お茶も飲みました。わたしのいちばんの目的地である画材屋さんを向こうに眺めながら。60代以降と思われる女性に「いいわねぇ」などと声をかけられもしました。


ごみごみとビルがひしめくイメージの強い都心部ですが、この落ち着きはなんだろうと思いました。行き交う人もさまざまでした。スーツをきちんと着込んだ若い人もいましたし、家からそのまま出てきた地域の高齢者のような人もいました。わたしのように幼児を連れた人がほかにいたか記憶にありませんが、腰を下ろして持ってきた食べものや飲みものを口に入れることができる場所が何気ないところにあるというのは、都心では貴重なことかもしれません。目の届く風景にあるのは、昔からあるであろう古書店や画材屋さん、近代的なアウトドアファッションのお店、ファストフードチェーンと雑多でした。


わたしの住む街・西東京には緑も土もそこそこあります。大きな公園もいくつかあります。「空間的なあそびの量」についていえば、豊富といっていいほうかもしれません。


空間が「あそびだらけ」すぎても、人が散ってしまいます。人が交わるのに適度な人口密度というのがあるかもしれません。空間的なあそびと人口密度、このふたつ(あるいは他にも重要な要素を見落としているかもしれませんが)は人が気持ちよく居られる・過ごせるかに関わる重要な要素といえそうです。「一方的に機能を持たされていない場所」に「あそび」が生じるのかもしれない、とも思いました。


お読みいただき、ありがとうございました。