あなたの靴ひもをわたしが結ぶ一生分のチャンス

カレーパンの形はラグビーボールに似ていると思います。形だけじゃありません。色も似ていると思います。こんがりしたきつね色が、ボールの皮の色そっくりじゃないかと思うのです。


形だけなら、オムライスもけっこう似ていると思ったんです。でも、溶き卵が熱でかたまったレモンのような白っぽい黄色は、ラグビーボールとは色が違うなと。それで、あの形で色ももっとこげ茶っぽい色のものってなんだろうと思ったら、カレーパンが思い浮かんだのです。


今年はなにやら、ラグビーのワールドカップが日本で開催されるという話なのでしょうか? 詳しいことを何も知らない僕です。


それもそうだし、来年はオリンピックが東京であります。来年の東京オリンピックのなになにの種目のいついつのチケットかとれたとかいうことをSNSで発信する人の投稿をいくつか目にしましたし、僕の妻が僕らの共通の友人のだれだれがなになにの種目のチケットがとれたらしいよなんて話を僕にしましたし、職場でも僕の同僚が同様にオリンピックのなんとやらのチケットがとれたと対面で僕に話してきましたから、さすがにニュースにうとい僕でもオリンピックのチケットが発売されたことを知るはこびとなりました。


この国の多くの人が今回のオリンピックのチケットを買った動機として挙げられるのが「滅多にない機会だから」ではないでしょうか。東京で開催される機会は、たしかに滅多にないでしょう。その人の年齢によっては、「生きているうちに東京で開催される最後のオリンピックになるであろうから」という主張に、同意せざるをえません。


オリンピックくらい、「身近で開催されるのは最後の機会だろう」ということがわかりやすいものならば良いのですが、けっこうそれ以外にも、もう一生こんなチャンスはないだろうなということはそこらに転がっているような気がします。


たとえば僕は、先日ある知人に久しぶりに会いました。今後も、かなり少ないペースで再び会う機会があるかどうかという関係の人でした。その人の靴ひもが、そのとき、ほどけていました。僕はそのとき、「靴ひもがほどけていますよ」と教えようかと思いました。でも、それで、指摘された本人がじぶんでじぶんの靴のひもを結んだのじゃあ、なんかおもしろくありません。僕はこんな妄想をしました。「その靴ひも、僕に結ばせてくれませんか?」とお願いして、その人のほどけた靴ひもを結ばせてもらう、という妄想です。だって、たぶん、僕がその人の靴ひもを結ぶ機会は、その日そのとき逃したらば、もう一生ないなと思ったのです。いえ、もちろん、「どうかお願いだからわざわざあなたのほどけた靴のひもを僕が結ぶチャンスをもうけさせてください」とその人にとくべつお願いすれば、そのときの機会を逃しても、ふたたびその機会が持てないわけではないでしょう。そこはオリンピックの東京開催とはまるで事情がちがいます。ですが、わざわざそんなことをする理由がありません。僕は、「今日いまここでその人のその靴ひもを結ばなければ、もうその機会は一生ないな」と思ったのです。


そう、わかりやすい貴重な機会、注目のあつまりやすい貴重な機会のほかにも、そういうことっていくらでもあるんだよ、と僕は思ったのです。そう思いつつ、僕は結局そのとき、その人の靴ひもを結びませんでした。ほれどころか、「靴ひもがほどけていますよ」と指摘することすらかなわなかったのです。ああ、非情なり。


お読みいただき、ありがとうございました。