傘を、あなたに。

夏の炎天下で、信号機が青に変わるのをただ立って待つのはしんどいことでしょう。だからつい、点滅した青信号や、運転時の黄色信号が終わるその前にと、駆け込んでしまいがちです。


傘を持っていないときの雨天時の信号待ちもほんとうにはがゆいものがあります。ただただ濡れながら、かばんのなかの本やら精密機器やらを染み込んだ雨水が脅かしやしないか、やきもきしながら信号機が変わるのを待つときの焦りほど僕が望まないものは、そう多くはないかもしれません。


かつての僕は、食事に時間がかかることをちょっとした自慢に思う気持ちがありました。よく噛んで、味わって、おなかにやさしいかたちにしたもののみを胃に送っていました。急いで食べざるをえないほどに忙しいということは、果たして本当の意味での人生の充実を語ることにつながるかと言えば疑問で、それに対して、僕はゆっくり食べるんですよというカウンターを放つ姿勢でいることを、ちょっとした誇りのように思っていたのかもしれません。


ところがいつのまにか、そこまでの時間をかけなくなったように思います。それは、ごく最近のことだとも思います。5か月ほど前に我が家に2人目の子どもが誕生したので、そうした家庭内の環境の変化をその要因としてあげるのは間違いではないでしょう。ほかの要因をあげると、昔ほど僕が、食事で満足を得るのにたくさんの量を必要としなくなったということがあると思います。食欲がおしとやかになったのです。あと、飲酒の習慣をなくしたことも関係ある意味かもしれません。


お皿の上を可能なかぎりきれいにして食事を終わりにする習慣があることについて、僕は昔から変わっていません。米つぶやごまつぶのひとつでさえほとんど残しません。これは、むしろただのびんぼう性かもしれません。


ほんとうに必要な量だけの食事をそのつどからだに入れること、その量と質の食事を味わう時間を人生に入れることを僕は意識してみたいと思います。


信号を待つ時間は、間断のない日常のルーティンのなかに「あそび(すき間)」をもたらしてくれる……と考えて受け入れたいところですが、炎天下だったり雨天だったりといった条件がその心構えに揺さぶりをかけてきます。からだが焦げれば心も焦げる、からだが濡れれば心も濡れる……これは否めないことでしょう。


濡れないように準備しておくとか、直射日光から受ける悪影響を少しでも減らす身なりをととのえておくとか、そうした工夫で日常のルーティンに「あそび(すき間)」をもたらすチャンスを逃さないようにすることなら、できるかもしれません。


お読みいただき、ありがとうございました。