適切な自己紹介

自己紹介ってなんだろう。いいところを言ったら嫌味たらしい。かと言って、悪いところをわかってもらったらその後の関係が円滑になるだろうか?  信用を損ねるだけの秘密を公にすることが適切な自己紹介だろうか。


自己紹介には何か、さも「適切」があるかのようである。好きな食べ物だとか好きな映画だとか、出身地だとか誕生日だとか血液型だとかそういったものを並べ立てて無難にやり過ごすことが、果たして「適切」だろうか。その人を構成する要素は、間違いなく「好きな映画や好きな食べ物や誕生日や血液型や出身地」などといったものだけでは不足する。しかし、それらもその人を構成する要素の(ごくわずかではあるにせよ)一部だといって間違いではない。即席の場で紹介されるその人をわかろうとするなんて、なんて無謀なことだろう。結婚式で流される新郎や新婦の生い立ちを紹介するヴィデオだって、その人をわかるのにじゅうぶんとはいえない。


自己紹介のいちばんの目的は、覚えてもらうことだろうか。その場でその人を他者と区別・識別できるようになってもらうことか。もしそうだとしたら、必ずしもその人の「それまで」が重要というわけではないだろう。初めて会ってその人の自己紹介を見る側としては、そこがその人との関わりの始まりなのだ。「私の過去にはこういった事実がありました。以後、よろしくお願いします」と言われても、自己紹介を見たその人の興味関心に特別引っかかる経歴でなければ「はぁ。(そうですか)」と脳内を素通りして抜けていってしまうだろう。いや、むしろその貴重な「引っかかる経歴」を、打率がどんなに低くとも構わないから、その自己紹介を見た特定の誰かにヒットさせることができればラッキィ、ということなのだろうか。


「初めて会った人について覚える」以外にも、「すでに認知している人についてもっとよく知る」という機能が自己紹介にはある。旧知の仲での自己紹介というのも、改まってやる機会がなかなかないからこそおもしろいものとなるかもしれず、付き合いの長い者どうしでやってみるのも悪くないだろう。ただ、「……知ってるけど、今更何?」と、しらけるリスクが伴うような気もする。


今後築くであろう関係がどれくらい長く深いものになるか、その見通しや可能性しだいで自己紹介の質が変わってくることもありそうだ。1日をバラバラに過ごして「はいさようなら」という予定を前提に、形式的に名前だけをひとりづつ言っていくような自己紹介の場に出くわすことがしばしばあるが、その名前を覚えられたためしがない。たった今名前を知るチャンスがあったにも関わらず「えっと、名前なんてったっけ、あの髪の長いひと!」といった始末である。


ちなみに僕は、字面で見ると人の名前をよく覚える。日本人の名前に漢字が使われているせいかもしれない。思えば小学校の頃、ドリルなんかを熱心にやって漢字を覚えるのが好きだった。漢字の人名はいいが、カタカナや英字の長いつづりをパッと憶えられるかというと、また別の話である。




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