ゲストでホスト

余裕がないと、笑顔が消えてしまいがちになります。済んでいない仕事も溜まっていけば、プレッシャーになります。ひとつひとつの仕事がやっつけになり、雑になり、質が劣化し、悪ければさらに余計な仕事を増やすこともありえます。


キツイ仕事というのはなかなかどうしても、この世から消えることがないようです。誰かがやらなきゃいけないことを、誰かがやっているのです。


一方で、キツイ・ツライ・ツマラナイと思ってやる仕事に、本当の需要ってあるのだろうかと疑念が生まれます。もちろん、どんなに雑にしようと消化しさえすれば結果に大差のない仕事というのも、どこかに見いだすことができるかもしれません。同じに見える質と分量の仕事を、それぞれ別の人が消化したとしても、それぞれが感じる負担の量が異なるという場合があるように思います。


これは誰のためのなんなのか、という対象がはっきりしている仕事は、よろこびを感じやすいのかもしれません。対象が喜んでくれて、その様子を目の当たりにできて、手応えを感じることができる可能性が高ければ高いほど、その仕事に対するモチベーションは高いものになるように思います。


こんな仕事で誰が喜ぶんだ? とでも思ってしまうような、当てずっぽうな対象設定で投げ打つ仕事をしてしまっていないか、自問する必要が僕にはあるかもしれません。そうすることで、おのれの生活にいくらかのうれしさ・楽しみ・喜びが増えるかもしれないと思います。


近年の僕は、じぶんが住んでいる地域で、じぶんが住んでいる地域の人たちを主な対象とした仕事をメインにやっています。「これをやることによって喜んでくれるのはあの人たちだ!」と、対象の顔が思い浮かぶ仕事に力を注げる環境というのは、なかなか精神衛生上、恵まれたものかもしれません。


じぶんの身の周りいる人たちって、「身内」と「ゲスト」の狭間にいる人たちといってもいいかもしれません。時と場合によって、どちらにもなるのです。そして、僕もまた向こうからみれば同様に、「身内」と「ゲスト」のあいだをフレキシブルに移ろう対象になっているということなのでしょう。



お読みいただき、ありがとうございました。