リアルの打席に、白線はなし

僕は、曲を書いて演奏や歌唱をする活動をしています。ですので、いい曲を書き続けていくことを、おのれの命題のように思っているところがあります。いい曲が書けたときのことを必死で分析し、そのときの状況や手順を意図的に再現すれば、またいい曲がかけるはず、などと思いがちなのですが、その再現を試みて再びいい曲を書けたためしがありません。いい曲を書けたときは、いつも、運が良かっただけだとか、たまたまだとか偶然だとか評するのがふさわしくて、実際の勝因なんかわからないのです。ただ、書こうとする姿勢を常に持ち続けること、くらいでしょうか。試合に出るようにする、打席に立つようにする、キャッチャーのミットが届く範囲に投げ込まれる球をいかにして打つかということに対して常に全身全霊で望まんとする、という姿勢についてのことくらいしか言えません。そう、「打席に立つ」のみです。それがすべてと言っていいかもしれません。


勝利のためのノウハウやハウトゥ、ツールなどが商品として売られていることがあると思います。打席に立つためのきっかけとして、最初だけそれを利用するという手段を否定はしません。目隠しをしている状態に等しくて、打席がどこにあるかすらわからないなんてときには、それも有効かもしれません。ただ、そんな商品の利用者に対して、サービスを提供する売り手自身がピッチャーであり、搾取の対象を量産するしくみにあなたは引っかかっているだけかもしれないことについては、いつも警戒すべきだと思います……いえ、実際、そのような勝利の方程式みたいなもののほとんどはそうだといっても過言ではない……とすら思います。


実際の世の中における「打席」は、野球におけるそれと同じくらいわかりやすくなんかありません。あんな風に、白線で囲ってなんていないことがほとんどでしょう。楽しんでやっていたら、そこが結果的に「打席」になっていた、というのが自然なのかもしれません。あいつにボール投げてごらんよ? よく打つからさぁ、投げる方までおもしろくなってくるんだ! というのが理想……なのかもしれません。



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