芸術とは何か

芸術の本質を探るそのヒントに「対比」という要素があるということを、僕はある人から教わった。


芸術というものを考える際に「感動」という要素を挙げることは安易な気がしてならないが、僕が安易な人間だから仕方ないとして、たとえば僕が何かの作品に感動したとする。作品に触れる前と触れた後の僕を対比させたとき、差異があることになる。そこに、芸術の本質を読み解く何かがある気がするのは、きっと間違いじゃないと思う。


「感動」という要素を安易に挙げてみたけれど、あるものを芸術と認識する要素がなんなのかと問うたとき、それのみにとどまることはない。「拒絶」という反応もきっと、そのものを芸術と認識するための要素のひとつになるのではないか。今までのじぶんの価値観・感性・知識で読み解くことができないものに出合ったとき、「拒絶」の反応を呈することがあると思う。「拒絶」ほど強い反応だと、しばらくその対象と距離を置くことになり、下手をすればその者が一生を終えるまで距離を置いたまま、ということもあるだろう。


いくらかの時を経て、さまざまな経験をしたのち、あのときはわからなかったものに再び触れてみようと思う、そんな機会が訪れることがある。外的なきっかけによってそれがもたらされることもあるだろう。それは、幸運な再会だと思う。時間的・空間的な隔たりの中に、価値観や感性や知識の質や量に変化があり、対象へ示すおのれの反応も違ってくるということがある。


対象に触れた際の反応が「拒絶」ではなく「疑問」くらいだと、これはその人を突き動かす衝動になることがある。行動を起こす原動力をその人に与える。どこにそんな力があったのだろう。見えないところから力が湧き出る、その原因となるなんて、つくづく芸術に神秘性を感じる。僕が無知だからか。


神秘を感じてしまうもののひとつに、愛がある。ここでは特に恋愛についていおう。その者に特別な体感、感情がもたらされるのだけれど、それがなんなのかよくわからない。性衝動や恋愛が、ある者の胸に創意を導くきっかけとなりやすい理由は、その神秘性というか、「なんだかよくわからなさ」にあるかもしれない。


「なんだかよくわからなさ」を明かすのは、おのれである。その答えを求めて、知識面で社会や他人に頼って、参考にするのはかまわない。けれど、あくまでその答えを出すのは、おのれである。ひとつひとつの作品はその答えであり、そうしたものを僕は芸術と呼ぶ。


お読みいただき、ありがとうございました。