おまつりの片棒担ぎ

こちらはヴァン・ヘイレンの『Jamp』を聴いておったところです。シンセではじまるイントロが印象的であります。『Jamp』が収録されているアルバム『1984』、勢いを感じる名盤です。


ゴシゴシしたロックをでかい音で部屋の空気を震わして聴くことは、今の僕にとってはなかなか難しいこととなりました。家族と一緒に住んでいるマンションの狭い空間では、誰かを巻き込むことなくそのような音楽の聴き方をするのは難しいのです。ですから、ゴシゴシしたロックに限らずほとんどの音楽を最近の僕はもっぱら、早朝にイヤフォーンで聴いています。


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キャラバン(caravan……隊商、あるいは集団で各地を巡ること、いったところでしょうか。ジャズの有名な曲でもありますね。


実際に自分の目でラクダに乗って砂漠やら原野やらをいく隊商を見たことがある人は少ないでしょう。映画などの映像作品でそういった光景を見たことがあり、それにもとづいたイメージでキャラバンということばを理解している人がほとんどなのではないかと思います。少なくとも、僕はそう。


旅こそ、我が家なり!


それも、素敵な生き方だと思います。


人生は、キャラバン?

仕事は、キャラバン?

〇〇は、キャラバン!


あなたにとっての〇〇とは?


どんなことでも、キャラバンにたとえることができそうですね。


休憩スペースひとつとっても、おのれで探し、切り拓くしかない……そういったことの積み重ねで、その人の生きた軌跡が浮かび上がるのでしょう。用意してもらった場所で用意してもらった仕事をするだけ、なんてことのほうが、生きることにおいてはむしろ例外なんじゃないかと思います。だれとキャラバンを組んで、何を持って、どこへ何をしに行くか……その過程における徒労も成果も、ぜんぶぜんぶ引き受けるのは、おのれです。


だれにとってもホームに非ず、アウェイ・オブ・アウェイ、ここ、そう、こここそ、東京砂漠なり。キャラバンの交差点、といったところでしょうか。出先で力尽きないための準備をしてきた人たちの集う場所です。あるいは、見切り発車をして困りごとにあう人も多く集う場所かもしれませんね。そんなとき、おれの家に来いよ!  なんて気軽に助けてくれる住民に出逢うことは、ここでは稀かもしれません。何しろみんながストレンジャー、ネイティブがいないのですから。そもそも「住民」がいません。商いごとの聖地みたいなところです。


おまつりごとの実行委員会(主催本部)って、心臓みたいなものかもしれません。ばくばくいいながら、手足を動かし、からだのすみずみにまで血をおくり、戻ってきた血を回収してはまた新たに送り出します。細部ではやれ切り傷だ擦り傷だ打撲だ捻挫だと、こまかい所見があるかもしれません。どこか出血したとしても、心臓を止めるわけにもいきません。かわらず熱い血潮を送り出しながら、現場でどうにかしてくれ!  と愛を持って突き放すしかないかもしれません。みんなで深呼吸して、可能な範囲で安静にして、心拍数をおちつかせるくらいの統率はとれるかもしれませんけれど。そのあいだに、血を止める血小板たちが現場におのずと向かってくれるかもしれませんし、指示をして向かわせるくらいの時間稼ぎならできるかもしれませんね。


年度もはじまってそうそう、あちこちでまつりがはじまる時期かもしれません。僕も、加担したり、しなかったり……


お読みいただき、ありがとうございました。