食品・Xの波乱万丈ものがたり

僕はとうもろこしが好きだ。サッと茹で上げたばかりのとうもろこしのつぶつぶが歯に当たってぷつりとはじけ、芳しい香りとあまい汁が口の中に侵入してくる瞬間ときたら、たまらない。


子どもの頃にコーンフレークというものを知ったときには、衝撃を受けた。おもえば、僕のとうもろこし好きの原点はそこだったかもしれない。茹でたてのプツリ感とはまったく違うけれど、その独特の風味はコーンフレークにも残されている。むしろ凝縮されているかもしれない。牛乳をかけて時間が経つとへろへろになってしまうところも、子どもの僕には衝撃的だった。


ところで、雑穀米が流行ったことがあったと思う(今でも流行っている?)。白米より多様な栄養が含まれていて、健康に良いという理由からだろうか。僕もその流行に乗った。そういう商品がスーパーに行くと必ずある。手軽に買える。だから、乗りやすかった。


雑穀を食べることを、戦時中を経験している人は良く思わない場合があるようだ。僕の妻の祖父母なんかがそうらしい。つらかったその時代を思い出すから、ということだ。さつま芋なんかも同じ理由であまり好きでない人がいるとも聞く。思い出(というか、単に経験)と食べ物の嗜好は密接な関係にある。


しょうがなくて消費するものがあったとする。妥協でそのものを選ばざるをえない、ほかに選択肢がないという場合がある。しかし、おおもとの価値観を変えてみれば、たいへんうれしく、ありがたいものに変わるかもしれない。そもそも思い込みや先入観、偏見がはたらいて、「しょうがなさ」 や「妥協」といったマイナスイメージを抱かせているのかもしれない。


たとえば「低栄養な食品」といった場合、「なんだ、栄養ないのかよ」「役に立たないな」「食べる意味あるの?」などと非難されるかもしれないが、「ダイエットに良い」という価値に気付いた人がいて、そのことが広まれば、かつての「低栄養=役立たず」という偏見は弱まり、新たな地位が確立される。


低栄養な食品・Xさんの波乱万丈物語である。もう、それだけで、おもしろいドラマである。朝ドラになるかもしれない。


なるほど、現在価値の低いもの、評価されていないもの、あるいはその対象にさえしてもらず、無視されたり深い考えもなしにはじかれているようなものの中に、近い~遠い未来に価値を持つものが含まれているのだとわかる。


価値があるかどうかの検討すらされずに放置されつづけているもの、素通りされつづけているものが、必ずやある。それもおそらく、いたるところにあり、身近なところにもある。そうしたものたちを見つけて、言い直しをする、やり直しをするといったことが新しさでもあり、おもしろさでもあるのだろう。


多くの人がその価値に気付いていないときの努力次第で、価値に気付かれたそのあとがだいぶ違ってくるのでしょうね。



お読みいただき、ありがとうございました。