PTA役員の深夜徘徊

PTAというやつがある。学校に行っている子どもを持つ親たちのアレである。ここでいうアレとは、集団、組織のようなもののことを指している。


「これをやりなさい」といわれて、やる羽目になることが多いらしい。やりたいかやりたくないかは別にして、である。


人から人へと引き渡されつづける、「お役」があるようである。


それをやることで、きっと発見があるだろう。やりたくもないことをやることで、見えなかったことが見えてくることもある。


見ようと思って見えるものだけで、景色のすべては埋まらない。おのれの興味・関心に引っかかってこないものが、必ずや、ある。


いやなものごとがあるとき、そのいやなものごとの原因となっているものと、直接向き合うというやりかたもある。


一方で、おのれに重圧やら精神的苦痛やらを与える原因となっているものから、離れてしまうという手もある。注意をそらすことでも心理的に離れられるかもしれないけれど、できれば物理的に距離をとったほうがいい。


気分転換には、散歩がおすすめである。住んでいる地域の中にも、きっとあまり見たことのない光景がいたるところにあるはずだ。時間帯を変えてみるでもいいし、視点を変えてみるでもいい。注意の対象物を意識的に変えることはもちろん未知の光景の発見に役立つし、視点を移動させるスピードを変えてみるというのもありだろう。


動くものの出入りが多くある場所では、おのれの視点を固定するだけでもいい。まわりに合わせて流されていたら、特別なものは見えないだろう。皆が流れている中では、立ち止まることが特殊な視点を得るための条件となる。それくらいのことでも、貴重なものが得られる可能性があるのだ。そんなうまい話は疑わしいと思うかもしれないが、まずはやってみて、疑うのはその後でもいいだろう。


たとえば、深夜の徘徊をおすすめしたい。突然そんなことを言ったら眉をひそめるかもしれないけれど、そこをあえて、である。あしたも仕事だから、なんてことを理由に未知の光景を知らないでいるのはもったいない。あしたの仕事も、大事でしょうけれど。


いやなものごと、不幸なこと、苦痛や苦難といった類のものも、それはそれで、一定の役割を果たしているのかもしれない。


お読みいただき、ありがとうございました。