必生に死す 〜幼成一体の種族〜

先を見越して行動することができる。一手打っただけでは達成できないようなことに向かって、コツコツと事をすすめることができる。


子供にはあまりない発想かもしれない。打算的というとあまり良い響きがしない。子供にはあまり打算的なおこないがみられないと思うが、それは僕の子供が男だからかもしれない。女の子は、幼い頃から、考えがあって他者にはたらきかけるようなことがあるかもしれない。間接的に、地固めをすることにつながるようなおこないだとか、他者を誘導するようなおこないだとかである。ただ、うちの息子にもそうしたおこないがみられないこともない……とも思う。


欲求にふたをしたり、感情を抑制してでも何かをがんばる、あるいはやめるというなことが子供にはない。赤ちゃんともなればなおさらだ。ただひたすらに、そのときそのとき、いいようにしている。「必死」ということばがあるが、「必生」ということばを思いつく。子供たちは、いつでも必生だ。命がけでおっぱいを吸いにいくし、遊び、ころげる。そのことを形容すれば、ただひたすら「生きている」となる。


ひとの力を借りないと生きていかれない存在、などと赤ん坊のことを指していう場合があるけれど、ある意味、赤ん坊のおかげで生きながらえている我々おとなたち、である。だれもかれも赤ん坊に見向きしなくなったら、この種族は滅ぶしかない。おとなが生きるということには、赤ちゃんを生きながらえさせるためのあらゆるおこないが含まれているといっていい。お互いの生に、包含されあっているのだ。そりゃそうだ。おとなだ、赤ちゃんだなんて不自然に分け隔ててとらえようとしているのなんて、一部のおとなだけなのだから。種族として、みなが必生でいる。


お読みいただき、ありがとうございました。