いざ、成東へ。

新元号って、誰がどんな風に考えて決めるんだろう。


僕はネーミングとかが好きだ。ネーミングするのも好きだし、誰かが考えたものに込められた意味を考えるのも好きだ。真っ先に思い浮かぶミーニングから、ふたつめ、みっつめ、よっつめの意味はなんだろうとさらに考える。考えて、きっとこうだろうなというものが見出せると、それが正解かどうかなんてこととは関係なく、とりあえず嬉しい。きっとこうだろうなと、自分で納得して喜んで終わりである。


元号となると、お店や商品やサービスに名前をつけるのといくぶんノリが違う。いや、深い深いところまで掘り下げていけば本質は同じかもしれないが、これまでの明治、大正、昭和、平成なんて元号を思い浮かべつつ、普段僕が楽しみながら妄想している何かのネーミングについての考え方をあてがってみても、どうもしっくりこない。解きほぐせないのだ。これには、単に僕のネーミングを考える力が及ばないせいがあるのかもしれないが、やはり凡百のサービスや商品、作品なんかに名前をつけるのと新しい元号を考えるのとでは、方向性の違いを感じる。元号は商品でもサービスでもなんでもないから、当然といえばそうである。


平成なんて元号を、もごもごと口の中で転がして、味わってみる。


昭和時代には戦争がこの国の中でもあったから、「平和になる(成る)」、平らに成る、という元号づけがされたことに人々の願いみたいなものを持ち込んで噛みくだくことができなくもない。昭和という2文字のおしりと、その次の元号である平成という2文字のあたまをとると「和平」になる点はなんとなく捨て置けない。ひっくり返せば「平和 」である。昭和から平成に移り変わる過程に「和平」があり、平成になってみたところで昭和を振り返ってみれば「平和」を実感できる……などと解いてみる。なるほどと、僕ごときの分際を納得させるのには十分な解釈かもしれない。


かといって、この度の新しい元号にそんなあたまとおしりの漢字しりとりが安易に含ませられるなどとは思えない。いや、もちろんそうしてもらっても良いのだけれど。


平成のおしりは「成」だから、なんだ……?「成」につづく二字熟語には何があるだろう。


ところで、2文字という法則に外れる元号を僕は知らないが、この点については決まりごとがあるのだろうか? 


それはそれとして、なにかしらの書類やらに日付を記し入れる際に、元号が2文字を超過する長さだったら、面倒臭さで卒倒できるのではと思える。手書きだったら、手がつるかもしれない。新元号もきっと2文字であろうことは、きっと揺るがないだろう。僕の分際でも、それは言える。(三文字だったらどうしよう? いや、ましてや四文字……ないない)


西暦で表記することが、公文書みたいな重要性の高いものについても是とされる流れが今回の改元にともなって訪れているのを感じる。仮に新元号が三文字とか四文字だったらば、今後はこれまで以上に積極的に西暦表記を用いたいと思うところだ(ないない)。


ところで、千葉県に成東という地名があったと思う。駅名か?  新元号が成東になったら、千葉県は大盛り上がりであると同時に、僕もちょっと心がはずむかもしれない。ちなみに「東」は東京オリンピックの「東」でもあるし、日付変更線に対してとても東の端にある国としてもみることができる。ないない、ですけどね。ああ、なんだか、成東に行きたくなってきた。


お読みいただき、ありがとうございました。