枝の周りに、鷹はなし

作物が実ると、そこが重くなる。その部分が、垂れ「下がる」ことになる。


重みで「下がる」と、多くの人の手が届くようになり、利用される。たくさんの人が恩恵を受けるのだ。


何も実っていない枝は、軽やかだ。高いところで飄々としている。強い風を切り裂いて、揺れ動いては元どおりになる。何かを突っぱねているようですらある。


実るためには、どこかへ根付かなければならない。人が集まる隙もなく次の場所に行ってしまうようでは、周りに頭を下げる対象もないだろう。


実りがあれば、それを抱えることになる。ある意味、身重である。それ故、周囲に人が集まって来る。その隙があるからだ。


実ったものは、たくさんの人たちにつつき、分け合い、持ち帰ってもらうことで、それを携えた枝穂はふたたび頭を上げることができる。


顔を上げると、同じ地平にいる人と、ふたたび目を合わすことができる。本当の気持ちを交換するのに、これ以上のタイミングはない。


元から何も抱えていなければ、垂れ「下がる」こともない。枝の周りを飛び回り、ときおり羽休めに枝にとまって休む鳥などもいる。鳥がとまっているそのあいだ、枝はとまっている鳥の重みの分だけ、頭を下げることになる。そんなことはおかまいなしに、また羽ばたいてどこかへ行っては、ふたたび帰ってきたり来なかったりする鳥もいる。


何も実っていないのに頭を下げていたんじゃあ、つついて持ち帰ってもらうものもないし、だれとも目が合わないだろう。頭の下げどころというのは、少し考えるべきかもしれない。もしもあなたが、何も持ち合わせていないのであれば、である。


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