人はなぜ笑うか

久しぶりに会う人が僕の子どもを見て、大きくなったねなどと言う。僕は毎日見ているので、あまり実感がない。あぁ、そうかもしれませんねなどと生返事をすることもある。


2人の息子がいるが、下の子はまだ生後3ヶ月未満で、寝返りすら打てない。天井をみつめることだけが、起きているあいだの活動のほとんどだ。そんなことを本人に言ったら否定されるかもしれないが、今のところそれを伝えたこともなければ否定されたこともない。


下の息子のうしろ頭には、ちいさな毛玉がいくつもできている。じぶんの髪の毛で後頭部に毛玉ができてしまうという経験は、覚えている限りでは僕にはないが、きっとあまり気持ちの良いことではないのではないかと思うけれど、特にその毛玉をどうこうするわけでもなしに、毛玉ができちゃったねなどと大人どうしの会話のタネにされるのが関の山である。


僕の後頭部にこれといって目まぐるしい変化もない程度の期間に、下の息子は生まれてきて後頭部にいくつも毛玉をつくってみせた。成長曲線を描いたらとても上を向いたかたちになるだろう。三十代男のこちらはといえば、ほとんど平行に近いくらいか、もしくはなだらかに上がっているのか、下がっているのか……


下の息子は、話しかけられることがわかるようで、名前を呼んで何かとりとめもないことも何度も言うと、そのたびに笑ってくれるようになった。おもしろいとか楽しいとか嬉しいとかいった感情があるのか、その感情が僕の持つそれらとどれくらい似たものなのかはわからないが、頼むでもなく頼まれるでもなく人間見習いをはじめたようである。などと言ったら失礼で、実はこちらが教えていただいているのかもしれないが……


赤ん坊に接する際、一切笑顔を与えずに育てた場合でも、赤ん坊は笑顔を見せるようになるだろうか。言葉をかけるとか、表情をもってはたらきかけるとかいったコミュニケーションの類を排除して子どもを育てたところ、その多くが早死にをしたというおそろしい実験をした支配的な誰かが中世くらいにいたとかいないとかいう話を聞いたと語りながら、暗に子どもとのコミュニケーションの大事さを僕に示唆した妻は、2人の息子を持つ母親でもある。


とくに大人が教えたわけでもなくごく生まれて間もない頃から、それこそ分娩室の時点から赤ん坊は苦痛や不快を示す表情をやってのけている。それに対し、笑顔というものはやはり、後天的に身につくリアクションのようだ。


なぜ笑うか?


それは、あなたが笑うから。


……などと、偉そうに言ってみる。


大人が偉そうにものを言うと、子どもは真似をする。


もうすぐ3歳になる上の息子の口ぶりときたら、まるで大人のそれである。



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