窮鼠必勝の理り

狸穴、という名前のラーメン屋さんがあった。今もあるだろうか。池袋にあった。僕は大学生時代を池袋で過ごしたので、何度かそのお店に行った。美味しいつけ麺を出すお店だった。


落語に『鼠穴』という演目があるのか。知らなかった。ぼくは、寅年だ。子年はあるが、狸年はない。あってもいいのに。


おのれを弱いものに喩えると、いろいろとロックな気持ちが湧いてくる。窮鼠猫を噛むとは、なかなかロックだ。どうせ死ぬなら、0.1パーセントでも勝つ方にかける。やって死ぬか、やらずに死ぬかなら、無駄に終わろうともやってやる、とな……


いい年して、何かをはじめることができる。はじめるのに、遅すぎることはない。さっさと始められたなら、そうしていたはずだ。「いい年」になったからこそ、それははじめることができたのだと思うしかない。それが正しい。


いい年して何かをはじめた者は、弱い鼠なんかだろうか?  とんでもない。百戦錬磨のつわものじゃないか。


逆の立場におけるシチュエーションを考える。おのれが、窮地に追いやった鼠を前にした猫だったらば……


そのとき、鼠に噛ませてはいけない。噛ませたら敗けだ。窮鼠必勝の理り、なり。逃げ道を空けておいてやることで敗けを認めさることができる。そうする他にないから鼠は反撃するわけで、逃げる選択肢があれば、そちらを選ぶ。それが鼠というものだ。(そもそも鼠じゃなかったら?)


余裕のある鼠が、猫と手をつないじゃう。どころか、猫を囲っちゃう、肥やしちゃう。重たくなったからだで、猫はもう鼠を追えない。敵を不能にする、鼠の戦略。そういうやり方もあるのだろう。



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