卒室の翌日

私は西東京市に住んでいる。勤め先も西東京市内だ。昨日はいつも通りに出勤した。何がいつも通りかといえば、出勤先だとか時刻だとかが、である。


市内の公民館に勤めている。公民館は社会教育法に基づいて設置されている学習施設であるが、利用する市民にとってその意識があるかといえば必ずしもそうではなく、無料で利用できる貸し施設、というくらいの認識でいる市民が多い。日々働くなかで受ける種々の問い合わせから、そのように感じる。


季節も季節だから、「卒業」を冠した催しものの数々がおこなわれていることと思う。私の勤める公民館も例外ではなく、館内にある保育室を利用して講座を受けたり自主活動を行ったりする母親たちと子どもたちの「卒室を祝う会」が開催された。私は、そこで演奏と歌唱をおこなった。


なんでもない日々が続く。毎年、似たような季節がやってくる。そんな風に思いがちだが、似て非なるものだという思いも持ち合わせている。いつ急に劇的な変化が訪れるともわからない。8年前の昨日が、そんな日でもあっただろう。


午後の2時48分ごろが、8年前に起きたことを思いやるでもなく、夢中で、それでいてぼんやりと、走り抜けるみたいに、乗り過ごすみたいに過ぎていた。


私は、現在の自分と震災との関係を、ちょうど一晩経って朝を迎えたくらいに思っているのかもしれない。この国のどこかに、まだまだ夜明け前の暗中を漂う人がいるかもしれない。それは隣人かもしれないし、地続きにずっと歩いていった先にいる人かもしれない。


とっくに昼を迎えて、精力的に活動している人もいるだろう。私がぼんやりしながら太陽を遠くに見ているあいだに、同じそれをすでに真南にとらえている人もいるはずなのだ。


そんなことを思う、3月12日の朝である。



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