英傑たちの歩み

無茶、無謀、向こう見ず……なんて言われて、ほめられたと思って喜んでいるものには、男性が多い。もちろん、女性にそういう人がいないとは言わない。


男性は力が強く発達しやすい。女性は妊娠したり出産したりする可能性がある。そんな物理的な性質から、狩りだとか採集だとかの役割分担がなされたのだろうか。


「適応したものが生き残る」という考え方に照らし合わせると、それは違うのではないかということになる。生き残るのに有利な特徴を持っていたものが生き残り、それが次世代に継承されて種としての特徴になるのだとしたら「男性は力が強く一点集中が得意、女性はコミュニケーションやマネージメント能力にすぐれマルチタスクが得意」といったような傾向が最初からあったわけではなく、そうした傾向を持ったものが生き残り、自身らの特徴を次世代に継承することを繰り返すうちに、それらが種としての全体的な傾向になった、ということだろうか。


深海魚のある種には、雌のからだが大きく、雄のからだが小さいものがある。その種は、生殖のために雄が雌のからだに噛み付いて、そのまま雌のからだに融合してしまうのだそうだ。「かつて(いまも?)雄だった部分」は、雌の鰭の一部と見紛うくらい目立たないものになる。このような適応のかたちもあるのだ。


つくづく、どんなものが生き残るかはわからない。いや、予想することはできるのかもしれないけれど、そのときによってそれがどのような様相になるのか、ほんとうにさまざまである。たとえば隕石の衝突といった事件を経て、絶滅するものと生き残るものに分かれることもあるのだ。


人間の性差の話にもどるけれど、僕は男性だ。それで、女性の行動力に驚かされることがたびたびある。


行動力といっていいのか、適応力といっていいのかわからない。ひょっとしたら、ある種の向こう見ずなのではないかという評価さえも厭わないような英断を、女性たちの歩みのうちに観察することがある。


そうした英断はどれも、その後の人生に大きく関わるような、重大なものばかりだ(だからこそ“英断”なのだが)。


例を挙げてしまうことは、これを読んでくださっている方の豊かなイマジネーションに水を差してしまうようで憚られるのだけれど、たとえば、結婚や出産や、就学や就業、転居や転職、起業といったものだ。ほかにもいろいろとあるはずだけれど、僕の陳腐なイマジネーションがそれに及ばない。


女性たちのそれは、僕が日々変わり映えしないことをちまちまちまちまやっていることが、馬鹿らしい……とまで言うことはないにせよ、可愛らしく思えるくらいの尊大さなのである。


それは何も、僕が男性であることや、僕が何かと女性に“英断”だとか“英傑さ”を感じがちなこととは、直接関係がないのかもしれない。自分にないものを持ち、能力を発揮している人に憧れがちな僕である。



お読みいただき、ありがとうございます。