ベース・メイク 〜その名は、日常〜

社員旅行というものをしたことがない。そもそもわたしは「社員」になったことがない。


「研修」というものならば、したことがある。ふだんは会わないような人の話を聞いまり、ふだんはしないようなことをしたりする。いずれも日常に毛が生えた程度のようなものが多く、あまり極端な非日常を研修において経験したことがあるわけではない。


それでも、同じ職場の仲間どうし、あるいは一定の共通点を持ったり持たなかったりする頻繁に顔を合わせる仲ではない人までもが、一堂に会したり、そのなかで細かいグループを形成したりして、ふだんはなかなか話したりやったりしないところまでのことを、話したりやったりする。そういう過程のどこかで、それぞれが刺激を得たり、ひらめきやヒントを得るきっかけを持ち帰ることになれば、しめたものだ。そうなれば、研修の甲斐があったといっていいだろう。


チームにおいては、各個人がそれぞれ器官、臓器のようなものだ。日頃、別々の機能を果たすため、別々の活動をしている。そうして、ひとつの集合体をつくっている。その集合体さえもまた、個とみなすことができて、個別の集合体の多重構造を社会や自然界に見出すことができる。


個の機能を感じあい、その大事さを認識する機会というのが、個別に仕事をしたり活動をしたりする日常のサイクルだけでは、不十分になりがちなのかもしれない。それを補うのが、ときに社員旅行だったり、研修だったりするのだろう。


職場という集合体はさておき、日常生活のサイクルのなかに、社員旅行や研修のような刺激が得られうるさまざまな活動をみずから組み込むことが可能だ。わたしはそうした、ちょっとした非日常を大切にしている。


非日常からしてみれば、日常もまた特別な存在である。昨日までのことを昨日までどおりにやるからこそ、非日常の下地ができる。こんなところにも、お互いを尊重することの大切さを見出すことができる。


尊厳あるわたしやあなたのなかに、尊重の多重構造を見出す日常のささいな今日である。




読んでくださり、ありがとうございました。