すべすべ滑る、術、全て。

人気のある観光地の多くには、長い年月を経て残ってきた場所、建物なりなんなりがある。


古い時代に建てられたもの、つくられたものでも、当時は最先端だった、最新のものだったはずだ。


それが、長い年月を経ても残され続けている。そんな要素が、人気の観光地にはつきものだ。


できたばかりのときは、どれもそれが最先端だったかもしれない。どういうわけか、その最先端には、その後も長く残され続けることになるものと、どこかでポキリと折れてしまうものがあるらしい。


残され続けることになる先端の特徴として、その先端のそばからは、新たな分岐、枝分かれが生まれるということが挙げられるのではないか。これは非常に抽象的なイメージで語っていて、かつ、わたしに知識や経験がないために、それがどういうことなのか、具体的な例を挙げて説明することができない。しかし、長い年月を経て残されてきたものって、必ずや、その周辺に影響を与えている。その影響が、その先端付近に、枝分かれ、分岐をつくるのである。それが、いまにつながっている。


いまを出発して、過去を辿っていくと、いくつもの分岐をしていまに至っていることがわかるだろう。その傍らには、何かしらの、「当時の最先端」があるはずである。その最先端が、折れずに残っている。分岐点で、分岐したほうの先に、いまのわたしたちはいる。でも、その分岐点の傍らに、折れずに残ったそのときの最先端のそれは、この上ない固有のものとしてそこにある。他に似たものがない。だから、観光地にそうしたものがあることが多い。というか、そうした場所(固有の最先端)を中心に、観光地が形成されるということだろう。


京都のさまざまな仏閣だとか。サグラダ・ファミリアだとか。アクロポリスだとか。万里の長城だとか。マチュピチュだとか。僕の乏しい知識では、それらについての十分な説明もままならないし、今この文脈でそれらを挙げることがはたして適切なのかどうかもわからないけれど、なんとなく、大昔から今に渡って残されつづけているものには、他に似たものがない点で、いつの時代の人間が見たとしても、独特で固有のもの、最先端のもの、新しいものといった印象を受けるように思うのだ。


ある瞬間に、最先端かのように思われかけたとしても、結局、他にない強さだとか大きさだとか広さだとか、あるいは反対に弱さ・小ささ・狭さかもしれないが、そういった唯一無二の何かしらの要素がないことには、折れずに残る恒久の最先端にはなれないのだろう。


どこぞの都市に出来た商業ビルが最先端でオシャレだなんだと、騒ぎ立てられることがあるようなないような……数百年、数千年単位でみると、どこが最先端なんだか……尖ってもいない、平らなすべすべじゃないか……というものが、そこらにあふれていないか。



などと、僕が大口叩ける筋合いもないのですけれどね。



すべすべのうえを、すべってますよ。ハイ。


読みにくいすべすべを、読んでくださってありがとうございます。