旅、してますか?

「目眩く〇〇」と、会話の中で使われる場面に出くわすことはあまりありません。ごくたまに、読みものをしていて出あうことがあるという程度です。


「目眩く日々」といった場合、目まぐるしいほどの、人や、ものごと・できごととの出あいがある日々……といったニュアンスでしょうか。


楽しそうに笑っていても、陰では苦しい思いをしているかもしれません。責任をともない、緊張感を味わいながらも、仕事はたのしくやりたいものです。責任と緊張とたのしさの絶妙なバランスの上に成り立つのが、良い仕事、なのかもしれません。


わたしのなかに、一見相容れない思いが渦巻きます。好きだけど嫌いだとか、そばにいたいけど離れたいとか、かなしいけれどうれしいとか、たのしいけれどつらいとか……。一方があるから、もう一方があるとも思います。ものごとのなかに対比を見出すと、それはなにかの仕事のタネになるかもしれません。「ジョブ」としての仕事のタネかもしれませんし、「ワーク」としての仕事のタネかもわかりません。


目に見えない大変さというのがあるようです。いえ、目に見えないなんてことはなくて、ただそのときのわたしが見過ごしているだけ、ということがよくあります。本を読んだり、だれかから話を聞いたりすることで、昨日まで見過ごしていたことが、わたしのアンテナに引っかかってくるようになる、ということがあります。導入となる知識を得ることで、その先の道すじが見えるようになるのです。「こういうところにおもしろさの扉があるんだよなぁ」という、「嗅覚」のようなものかもしれません。そうしたきっかけを与えるような「本」を書くとか、「話」をするとかいった活動は、立派な仕事になるでしょう。(「ジョブ」にも「ワーク」にも、の意で)


旅というのは、いろいろなものに芽吹くタネを得る秀逸な手法といえます。あとから一定の期間を切り取って振り返ってみると『あれは「旅」のようだった』と評価できることもあるかもしれません。「あの瞬間こそが、実はわたしが旅に出た瞬間だったのだ」と、過ぎ去ってから「旅」の存在に気づくこともあるのです。


あなたは今、「旅」をしていますか?