おれたちにコンビニはいらない

特異な個性を保つのは、意志でしょうか。ユニークなすがたかたちは、流れるまま風に吹かれるままにしておいたら、次第に丸くなり、川底の石ころみたいになってしまいます。


どんなに事前に予想を立てても、出会いが起きます。心が尻尾を振って喜ぶようなものもあれば、胸が焼けてざわつくみたいに不快なものもあるでしょう。何か目的を持って現地に足を踏み入れれば、その目的に対する追い風も吹けば、向かい風も吹きます。


わたしのまちの景色は、いつの間にやら変わっていきます。見覚えのない道路ができていたり、新しいビルが建ったりします。道路もビルも、どういうわけか巨大化する傾向がありはしないでしょうか。


一方で、人間のからだに見合うくらいの幅の道、人間のからだに見合うくらいの大きさの建物を保っているところもあるようです。どういうわけかそうしたものは、風に吹かれて消えてしまいやすいようなのです。


そうしたものを保つのは、その場所なり環境なりをわたしたちのものとして大事に思う、人の意志なのでしょう。それは、ときに訪れる人に美しさを感じさせ、そのことがまたいっそう、そこを保とうとする人の意志をつよくするのかもしれません。


コンビニを探して歩いても見つからなかったら、そのときその人にとってそこは「コンビニもない街」になってしまいます。


どこにでもあるものが、あたりまえのようにある風景ばかりになっていく。そんなものを、いつわたしたちが求めたのかとふと思います。風も水も、すき間さえあれば流れ、吹き込む。そんなふうにして、どこもかしこも同じになってしまう。それを防ぐのが、特異なる人の意志なのでしょう。


「あれもない、これもない」は、反転します。「ある特定の観点」をくつがえせば、「あれもある、これもある!(あえて肯定的に)」となるはずです。


ちょっとした紹介のしかたとか、話しかたとか、はたらきかけかたひとつで、訪れた人たちに「あれもある、これもある!」を感じてもらえます。外からやってきた人に対してのみならず、そこにいるあなたたち、わたしたち自身に対しても、同じことがいえるでしょう。


案外どこも、「あれもある、これもある!」ものです。