絶世の宇宙生物 〜完全無欠Ver.〜

もし〇〇だったら、さぞこんなことになるだろうに……という思い込みがある。


たとえば、わたしが絶世の美女だったらば、誰もが認めるイケメンだったらば、さぞモテて、あらゆることに不自由せず、幸せに生きられるだろうに……というのも、おそらく思い込みだ。絶世の美女の人生も、誰もが認めるイケメンの人生もわたしは知らないが。


実際に起こることは、思ったとおりにはならない。たとえ絶世の美女や完全無欠のイケメンに生まれ変わったとしても、あらゆることに不自由しないなんてことはない。モテるかどうかさえわからない。煩わしいことが増えるだけかもしれない。





箱が珍しいのではない。中身が珍しいのである。さも箱が貴重なものかのように思いがちだが、中に入っているものに、人は興味や関心を抱き、おもしろがるはずだ。


ああ、そう、もっともっと、思ってもみなかった問題は起こる。そもそも、そもそもだよ。システム自体が機能しないことがある。わたしの想像する美女やイケメンが、どんな時代の、だれにとっても魅力的なものかどうかなんてわからない。わたしには宇宙生物じみた化け物にしか見えない風貌の何かしらが、美女だイケメンだと、あるいは性別なんて概念などなくもてはやされる世界が宇宙のどこかしらにあるかもしれない。わたしの思うような、価値のありそうなもの。その価値だとか、強さ、魅力、美しさ、利便性、そういったいっさいの「良さげ感」が担保される背景が、その社会に、その世界に、そもそもないかもしれない。


そうした世界においては、未知の利器は、むしろがらくただ。がらくたならまだ良くて、邪魔くさいものだったり、なんだか気味の悪いものだったり、へたをすればそれがあることによって何かに支障を来したりしてしまうものかもしれない。




直面してみないことには、わからないことがある。やってみないとわからないことは、多い。やってみないことには、そもそも何がわかっていなかったのかさえわからないことがある。やってみて、直面してみて、わたしたちはここに気付いていなかったのか!  ということが初めてわかる。おばかなわたし、想像力に欠けるわたしは、どんどんやってみるしかない。自ら出向いて、直面していくしかない。


そこに、わずかなかしこさだとか、わずかな想像力があれば、いくらか事前に準備したり、対応策を用意したりしておくことができるだろう。このかしこさだとか想像力が大きいほどに、初めてだけどうまくいってしまった!  ということは起こりやすくなるのかもしれない。




エネルギーは、見えない。でも、わたしたちは食べものからそれを得ることなしには動けないし、生命を保てない。


足りないものに気付いて、後追いで具体的なToDoを見つけて、ひとつずつ潰していく。おばかで、想像力の足りないわたしは、少なくともそうやっていくしかないのだろう。


そうやっているうちに身についてくる、「筋力」のようなものもある。




最後までおつきあいいただき、ありがとうございます。