おもちバイアス

1月という括りにおいて、特定の1月と他の1月を区別して意識することって、あまりなかったように思う。


僕の今年の1月にかたちがあったとしたなら、それはどんな姿だったろうか。僕は、その姿から何を学んだか。


なんだかよくわからないうちに過ぎてしまったひと月のような気もするけれど、しっかりと長さもかたちもあった月のようにも思える。コシがあるのに、伸びがある。まるで、おもちみたいな月だったかもしれない。少なからず、お正月バイアスがかかっている。バイアスの意味もよくわからずに言っている。



だらだらが好きだ。ぬくぬくはもっと好きだ。だらだらやぬくぬくが甘美に響く理由は、きっとそれによってしゃっきりするからだ。ぬくぬくと、だらだらとしているうちに、エネルギーが溜まる。溜まったエネルギーは、持ち腐っているとストレスになってしまう。仮にエネルギーの本質に「ストレス」と名前をつけたとしたら、動かないでいること、すなわちぬくぬくやだらだらは、ストレスの原因なのだ。僕たちは、わざわざストレスを溜めては、それを発散して快感を得るのである。なんの意味があるかなんて、問うてはいけない。あちらへ行ったかと思えばこちらへ帰ってくる、そういう運動を続けるのが、生きている者なのだ。自分に命があることを、自分に証明してやっているようでもある。僕にとっての今年の1月は、そんな月だった。確かに手応えのある、ねばっこくもあっさりとした月である(ほら、こんどはおもちバイアスだ)。


そういえば、黄色い箱に入って売られていた、「5年間使える手帳」に日記を書き始めて、今日でまる一年になった。一年前の今日の日付のところに書いてある内容を読むと、もっと酷いかと思ったが、意外とまともなことが書いてあった。喜んでいいのか悪いのかよくわらない。1年間では、たいして僕は変わっていないということなのかもしれない。それもまぁ、悪くない。




愛想尽かすも尽かさぬも、これを読んでくださってありがとうございます。