No New Year's Day (to Celebrate)

むしろいつもより早いくらいに就寝して、眠っいているあいだに年を越しました。あけましておめでとうございます。


つくづく、昨日のつづきを生きているなぁと実感するほど、何が変わるというわけでもないといえばその通りです。


僕の家の前の大きな通りを真っ直ぐに行けば、地域では比較的大きい方に入るといっていい神社に着きます。いつもよりは多くの人たちが、家族で連れだってそちらの方へと歩いたり自転車を漕いだりして行くのを見かけました。


僕が、お正月だから、年明けだからといわず、特別なんでもないかのようにふるまいがちなのは、それだけ普段の1日1日を大事に思っているということがあるのかもしれません。そんな前向きな解釈をするのにうってつけな日こそが、元旦なのかもしれません。


いつもは、今日もなんにもできなかった、また無為に過ごしてしまったかもしれないとうつむきがちなことも、それ以外のなにかしらのもろもろも色々と棚に上げてしまえる、ちょっと特別な日、それが元旦なんじゃないかと……なあんだ、やっぱりかくいう僕自身、元旦のことを誰よりも特別に思っているのかもしれません。


特別な日だけをありがたがっているのじゃないのだよ、ということを表現したいがために、ついつい特別な日に控えめにしようとしてしまいます。でもそうではなく、1日1日、きちんとうれしさをあらわしていくことのほうが特別なことなのかもしれません。


特別な日のハードルを下げるのではなく、なんでもない日のハードルをあげるべきなんじゃないか、ということですね。





すごく特別かもしれない日に、あえてなんでもないことを言ってみる。この世よ、ありがとうございます。