東京都、32歳。 〜都市と歳と年と年〜

京都と聞けば、修学旅行で行ったなぁと思い出すのが、関東地方で中・高生時代を過ごした人の多くではないだろうか。


盆地と聞けば、夏暑く、冬寒いでしょう?  なんて言いたくなる。盆地であることと、夏暑く、冬寒いことの関係性を正しく説明できない者は多いだろう。そういう僕自身も、「京都は寒い(暑い)」と聞けば、「盆地ですもんねぇ」などと、自らろくに根拠も説明できない返しをしてしまう自信がある。無駄な自信ばかりを、人に売るほど持っている僕である。


もう少し俯瞰する視野を持ってさえいれば、京都よりも寒い場所などいくらでも存在するということは自明のはずである。多くの人が住む土地だから(あるいは、行ったのことのある土地だから)こそ、寒いだの暑いだの口々に言うのかもしれない。言う「口」がいっぱいある、というだけのことである。


「口」がいっぱいあるということでいえば、僕の住む東京もそうである。この国でいちばんたくさんの「口」がある。ビル風が寒いとか、コンクリートばかりで寒い(放射冷却……直接触れていなくても、冷たいものが近くにあると寒い、的なことだろうか)とか、言いたくなる気持ちはなんとなくわかる。


僕の妻は、長野県松本市の出身だ。市街地はわりと平らな土地で、広域的には空気や水が澄んでいる。高い建物は松本駅の周辺にあるくらいで、基本的に遠くまでよく見える。山々か雄々しくて、美しい土地だ。冬は雪も降る。はっきりいって、寒い。ぼんやりと言っても、寒い。


東京住む僕が寒さを嘆きたくなったとき、いや、これしきの寒さは松本に比べれば大したことがない、などと思い出してみずからを勇気づけている。勇気づけるくらいのことで、寒さをしのげると無意識に思い込んでいるらしい。それくらい、東京の冬はたいしたことがないのかもしれない。この国には、松本よりももっともっと寒い地方がいくらでもある。


東京の冬はそうした地方よりはたいした寒さではないとはいえ、家がなくて365日24時間、屋外で過ごさなければならない境遇だったらどうかと問われれば、それはすごくきついだろうなぁと想像する。そうした家なき者の数の多さでいえば、東京はおそらくこの国でいちばんの地域だろう。


寒さの厳しさ的にましだから、東京に家なき者たちが集まるのだろうか。寒さの厳しさを逃れられる地域を目指すのならば、とにかく南、沖縄なんかが良いのだろうけれど、なにしろ遠い。関東地方で家に住めない境遇の者が、気軽に行ける距離ではないだろう。東京に家なき者が多い理由として、寒さの厳しさがましだからというのは、いくぶん弱い。


構造物、建築物が多いから、だれでも立ち入ることのできる屋内スポットは多いだろう。人口が多い地域には、構造物、建築物が比例して多く存在することは、事実だと思う。人が多ければ、それだけ幅を持ったさまざまな境遇の人がいてもおかしくない。


多様な人がいても、局所的には似たような者ばかりが集まることも多い。当たり前のように家の中にいられる人は、家の中にいられることを前提にものを考えがちだ。当たり前のように仕事がある人は、仕事があることを前提にものを考えがちになる。「口」の多いこの都市には、家も仕事もないのが当たり前の人たちもたくさん暮らしていることだろう。


年と年のすき間みたいな時間に、ふと思う。この都市で、この歳で。




あしたは大晦日。おつきあいいただき、ありがとうございます。