一周は、一周。(速くまわっても、遅くまわっても)

仲間入りなんてしたくなくても、生きていたら、ある年齢に達するのは必然だ。


高齢者が増えているという。生きていたら、歳をとる。長く生きる人が増えると、高齢者が増えるのは必然だ。増える高齢者の数を上回るほどに、若い人が増えでもしない限りは。


暗記という作業は、どんどんしなくて良いようになっている。コンピュータがそれをしてくれるし、ネットが倉庫の役割をしてくれる。自分の中に溜め込むことをしなくて良いようになってきている。人間はどんどん、身軽になっている……はずである。


ある時間内、ある期限内にすませなければならないことがあるとする。一方で、ほんとうはそのような制限時間や納期は存在しないのに、さもあるかのように思い込んでしまうことがある。そうなるように仕向ける、社会的な圧力があるのかもしれない。


難しそうに思えることも、ゆっくりと時間をかけて取り組んだら、案外できるかもしれない。達成に必要な時間を、適切に割いておこなえばいいだけだ。あわてて済ませる必要などないのじゃないかと、身近なもろもろのことをいろいろと揺さぶってみると、知られざるおいしい木の実がふってくる……かもしれない。


あわてて済ませることで捻出した、時間のゆくえは?  費やす対象は?  血をにじませ、苦痛を味わいながら時間を捻出したとして、その時間を果たして何につかうのだろうか?  再び血を流すため?  苦痛を味わうため?  時間の捻出のために全身にこさえた傷をいやすため?  だったら、最初から誰も傷つかないようにやれば、良かったのではないか?  


負担やひずみをどこかに生じさせることで、捻出された時間。お金。それらが、必ずしも自分のもとに還ってきているとも限らない。誰かが誰かから、奪っているかもしれない。そんな一方通行の循環を強いるような体制は、はやく辞めるに越したことはない。


何かをやめることは、自分に変革をもたらすかもしれない。終わりのフラグを立てることで、フラグを握っていた手が空く。新しいフラグを掴む手ができる。


何かをやめることが体質になっている場合は、やめないでみるというのも変革のきっかけかもしれない。歳をとることばかりは、生きている限りはやめられないけれど。




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