釣り人と魚

・ひとつひとつ、(ときには血を吐くかと思うくらいの努力をして)手仕事で良いものをたくさんつくるのか。スタンパーみたいなもので工場からがしょんがしょんと生まれてくるわけじゃない。そういう商品も、もちろんあるだろうけど。


・いろんな仕事をしているひとがいる。あなたの仕事だけじゃぁ、あなたの仕事は成り立たないけれど、それはわたしの仕事についても、おなじこと。「支えるから、支えてよ」っていう仕組みで、おおきな構造物ができている。カードだとかコインだとかサイコロみたいなものでつくった、タワーみたいなものが。


・おいしいごはんの予定ひとつあるだけで、道中を走り抜けられる。おいしいごはんのところには、ひとによっていろんなものが代入できる。先の見えない不安が押し寄せるようなときは、何かおいしいごはん的な予定をもつのも、良いだろう。



・香港ってどこだっけ。陸路で行けるっけ?あの島……と思って地図をみたら、台湾と勘違いしていた。つくづく、世の中にはまだまだ自分の知らない場所があって、おもしろいなぁと思う。


・地形が気になる。地形は、なによりも大きな構造物だ。自然がつくったものだ。


急に、釣りの話をはじめるけれど、魚のいる場所の目星をつけようとするとき、まずは何よりも大きな構造物や地形に着目するといいらしい。


たとえば、入り江とか岬とか、巨大な橋脚だとか、たとえ水中で見えなくても、急な深い落ち込みだとか、逆に、急なカケ上がり地形だとかが水中にあるか、といったことである。そうした大きな変化のある場所、物理的に大きな特徴のある場所に、魚がいる可能性が高いらしい。


このことは、たぶん、人間についてもいえる部分がある。龍の背みたいな山脈を持った地形の島国が日本だ。そうした龍の背みたいな山々がフっとなだらかになって、平らで開けた場所がある。そうした地形のひとつがたとえば、関東平野だろう。


本能的に、あの開けた場所なら生活していけそうだぞ、などと思うのだろうか。確かに険しい山地よりは、なんとなく命の危険が少なそうだなと思わなくもない。


平野部で、チョロチョロと水が穏やかに湧き出し続ける場所が近くにある、地盤がしっかりした木陰なんかあろうものなら、確かに願い出ても住みたいものだ。


地形のことを意識しながら関東平野の多摩地域なんかを散歩していると、そうした場所に人が住み始めたことが起源なのだろうなと思わせるような土地にしばしば出会う。今の僕が住む街も、その例外ではないかもしれないとも思う。


そんなところに、釣りの対象にされる魚たちと自分とのあいだに、共通点を見出すことができる。だれもが釣り人であると同時に、釣られる魚でもあるというわけだ。