対 -Tsui-

〈芸術の結論は、「対比」である〉と言い放った人がいます。僕が尊敬する、ある作詞・作曲家の人がそれを言いました。


「対(つい)」とは、なんでしょうか。「一方があって、もう一方がある」ということでしょうか。「わたし」と「あなた」。「あつい」と「さむい」。「うまい」と「まずい」。「美しい」と「醜い」。いろんなものが当てはまります。


何かと何かを分けることができれば、「対(つい)」は生まれます。何かと何かを分けるものが、境界(線)でしょうか。


鋭くはっきりした境界もあれば、ぼやけてあいまいな境界もあります。そこが難しいところで、「わたし」と「あなた」という、はっきりと別のものとしてありそうなものでさえ、あいまいになってしまうことさえあるように思います。


「わたし」と「わたし以外」を分ける、境界線。それは、見えるのか?  さわれるのか?  どこにあるのか?  においだとか味はするのか?  やわらかいのか硬いのか、あついのか冷たいのか。


「対(つい)」を深めるものは、いろいろあるでしょう。昨日食べたハンバーグの味かもしれないし、大好きな演劇の演目かもしれません。尊敬するアーティストの作品かもしれないし、おばあちゃんから教わった煮物の作り方かもしれません。


一度きりを味わう、試合。「対(つい)」が深まると、それはおもしろくなるのですね。