あの祭り、この儀式 〜命をつなぐ、営みのあらわれ〜

お祭りとは、楽しいものというイメージがまずあります。にもかかわらず、世界(あるいはこの国 )には「人死に」が出る祭りがあると聞きます。楽しすぎて昇天、じゃあ笑えません。なんのための祭りなのかなぁ……


宗教的な意味あいだとか、文化や習わしとしての側面だとか、その祭りの起こりをつきつめてみていくと、きっと、もともとの人たち(先祖たち)から受け継がれている、命をつなぐための営みの様式だとか、そこに宿る心の内側のことだとかに行き着くんじゃないかなぁと思います。そうした側面を理解した人たちのみが集まる祭りって、いったいどれだけあるのでしょうか。きっとどこをさがしても、まずない……とまでは言えないかもしれませんが、少なくとも、なんのよしみもない者が、断りもなしに出かけていけるような類の祭りの中にそれを見出すことは、至って困難なのではないかと思います。


クローズドな人の集まりとなると、「祭り」というよりも、「儀式」なのかもしれません。「儀式」として起こったものが、人に見せてもさしつかえないということで、二次的に「祭り」の性質を帯びていく……といった変遷をたどり、広く人々に認知されるようになったものが多いのじゃないかと想像します。なにかの祭りに出かけて行くときは、「見させていただく」「参加させていただく」くらいの、厳かで敬い深い気持ちを持って行きたいものだなぁと個人的には思います。そもそも当事者でない者たちに開かれていった経緯、その狙いとするところに「経済的な振興」を感じずにはいられません。もちろん経済的な振興自体は悪いことではないはずですが、そのことによって、本来の宗教的な儀礼としての側面を忘れたり、その土地において連綿と続いてきた「命をつなぐ営みの様式」を意図しないかたちで改変してしまったりするのであれば、経済が成り立つ以前の問題なのじゃないかと思います。


どんなファッションも、もともとは、「日々の命をつなぐための営みのあらわれ」をもとにしているのではないでしょうか。起源の理解に努め、敬意を払う姿勢を持って取り入れる「スタイル(異文化)」ならば、自分の暮らしに新しい風を吹かせる、幸せのきっかけだと思います。